不正・事件・犯罪

2017年は「ヤクザの終わり」元年となるのか。猫組長の答え

かつての「任侠」を取り戻すことこそが…

悪とはなにか。悪問とはなにか

7月11日に施行された「共謀罪」。六代目山口組では機関紙「山口組新報」の最新号で、「テロ等準備罪――あえて共謀罪を考える」と題した記事を掲載、記事中で〈任侠界に対する国策〉〈当初は手っ取り早く任侠界を対象にする〉としている。

「共謀罪」については、その最大の標的とされる暴力団ばかりでなく、日本国内での一般市民のアレルギー反応もかなりのもの。成立が急がれた理由は「パレルモ条約」(国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約)の締結にあるとされているが、「共謀罪なくして締結できない」とする与党側に対して、野党側は「共謀罪なくして締結できる」と主張。この議論に加えて、「パレルモ条約」そのものの有効性や危険性が論争の一つとなっている。

さて、「共謀罪」によって改めて我々に突き付けられたのは、「悪とは何か」という根源的な疑問ではないだろうか。先に発売された『「惡問」のすゝめ』では、元関東連合最高幹部で作家の柴田大輔氏、元山口組系二次団体最高幹部で作家の沖田臥竜氏と共に多くの視点から「悪」を解説した。

私が主に担当したのは「歴史」である。

本来ヤクザは「任侠を追求する団体」であって、税制上の位置づけもPTAや町内会と同じ「任意団体」。ヤクザ側はそう主張するのだが、もちろん、そんな主張が説得力など持つはずもなく、「暴力団」の一言で括られるのがせいぜいと言ったところだろう。

ヤクザの源流は中世に遡るのだが、もし「ヤクザ」が本当の意味で「反社会団体」であれば、これほど長い歴史を持つこともなく権力によって消滅させられていたはずだ。実は「ヤクザ」と「権力」との関係は「断絶」ではなく、時に添い寝をし、互いに利用するものだった。

幕末期の有名なヤクザに「国定忠治」と「清水の次郎長」がいる。民に人気だったが、反体制を貫いた国定忠治は処刑され、体制と共生する道を選んだ次郎長は清水港の管理を任され天寿をまっとうした。渡世入りとは一般の「世」を渡った世界に入ることで、ヤクザになることを意味するのだが、こう考えれば渡世も現世と無縁でないことはよくわかるだろう。

 

維新においては博徒もまた尊王、攘夷、佐幕、各々の思想に従って戦うことになる。やがて明治になり、薩長を中心とした新政府が成立。薩長以外の勢力が「自由民権運動」を起こすのだが、激化事件の代表とされる「秩父事件」で武装蜂起を指導した者こそが博徒だった。

明治期以降も、その武力を恐れた政府は博徒を取り締まる一方で、与党化政策さえ行った。大正7年からの原敬内閣においては、全国のヤクザを団結させ「大日本国粋会」の結成に政権自ら助力し、労働運動弾圧の「暴力装置」として利用さえした。

戦後の混乱期、GHQから武装制限された警察に代わって治安維持装置として機能したのもヤクザだ。自警団を結成して、神戸の町を暴れ回った戦勝国の不良外国人を取り締まった三代目山口組・田岡一雄組長が、1959年に神戸水上消防署の一日署長を務めたのは、その象徴的な史実である。