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中国共産党幹部を辞めた男は「中国経済の大転換」を見据えている

「社会的企業」の時代が来た

中国の元祖社会企業家

中国では今、社会的企業に注目が集まりつつある。

昨年、日本のNPO法にあたる「慈善法」が定められ、社会的企業やNPOなど、社会課題に取り組む活動をする団体を法的に位置づけた。合わせて団体への寄付控除の拡大方針も示されたうえ、毎年9月5日は「中華慈善日」と定められた(中国はこの種の「○○の日」が多いのだが)。国民の公益活動への意識を高める日になると予想される。

一方で、同じ時期に中国国内で活動する海外NGOを規制する法律も出来ている。つまり規制緩和と強化をセットで行っているわけだ。

 

日本では後者ばかりが報じられることが多く、確かに人権や少数民族についての問題となると政府は途端に敏感になり、厳しい対応をとる。ノーベル平和賞受賞者で先日死去した、劉暁波氏も激しい弾圧を受けた。

だが一方で、市民社会的な世界も急速に広がっている。国土が広く急激に経済発展したために、都市と地方の格差や貧困、教育、環境など社会課題も多く、もはや政府だけでは統治しきれない現実もあるからだ。

しかも、経済的に豊かななかで育った若い世代や、ビジネスで成功をおさめた人たちが第二の人生として社会的企業や公益活動を選ぶケースも多く、ビジネスと公益が近づきつつある。

中国の変化の速度は速いため、社会的企業や社会的投資などでどんどん新しい概念やモデルが導入されている。日本もあっという間に凌駕されそうな勢いだ。

徐永光(シュイ・ヨワンコン)氏は、1988年から民間の寄付や政府の支援も受けて中国の貧困地域に小学校を建てるプロジェクト「希望工程(ホープ・プロジェクト)」を行った人物だ。

徐永光氏〔撮影:筆者〕

「希望工程」は中国人なら知らない人はいないと言っても過言ではないほどの超有名な事業で、徐氏はいわば「元祖社会企業家」といえよう。

徐氏は、もともと共産党青年団の部長、とびきりの若手エリートだったという異色の経歴を持つ。そんな彼に、なぜ公益活動の道を選んだのか、どうして今中国で社会的企業なのか、これから発展していくには何が必要なのかなどについて聞いた。

1万8000校をつくった

――共産党青年団(共青団)の部長というエリートの座をなげうって1988年に「希望工程」のプロジェクトを始めました。なぜそんな思い切ったことをしたのですか。

共青団にいればもっと出世できたでしょうね。周りからは止められたし、なぜ辞めるのか、高級な物乞いをするのか、とも言われました。

でも私は強制されたくなかった。自由、ただその一言のためでした。自分の好きなことしか考えずにすみ、嫌いなことはやらないでいい。そして、誰もしていないことをしているという喜びがありました。そこには無限の空間があったんです。それが楽しくて。

――常にチャレンジャーで、新しいことにトライしたいと。

私はこの世界の開拓者で、常に切り開いていく役割なんです。

――一般の人々や企業から寄付を集め、政府とも協力して1万8000もの学校を建てて、中国人なら誰でも知っているといっていいほどの事業に育ちました。

田舎に学校を建て、寄付してくれたコカ・コーラの人を連れて行きました。コカ・コーラって知ってる? と地元の子どもに聞いたら、はい学校のことです、と答えたこともありました。日本から寄付ももらいましたよ。