歴史

旧日本軍はこうして日米開戦の「熱狂」を作り上げた

なぜすべての国民を戦争に巻き込めたのか
一之瀬 俊也

私が注目するのは、猪瀬『黒船の世紀』単行本あとがきの「〔日本人が〕弱肉強食の世界で生存の条件を得るためには戦争しか手段が残されていない、あのころはそう信じるしかなかった」という一文である。

本書では、かつての日本人が米国相手の戦争に勝てると「信じ」るようになり、実際に戦争に突入していった様子を、軍事の知識が大正期から昭和にかけての社会に蓄積され、実際の戦争遂行に(変な言い方だが)活用されていく過程として、時系列に沿って捉えなおしてみたいのである。したがって本書は、今日では荒唐無稽にみえる数々の日米仮想戦記も、当時の日本国民にとっては〈軍事リテラシー〉を高めるテキストの一種だったと考える。

それらの書物のなかで、日米戦争は具体的にどのような戦法で戦われ、その際に飛行機と、大艦巨砲主義の申し子たる戦艦はそれぞれいかなる役割を占めると説明され、国民に伝えられていたのか。両者の力関係はどう考えられていたのか。これらの点を、近年の研究成果を活用しながらみていきたい。

 

〈国民の戦争〉の象徴としての飛行機

あらかじめ結論を述べておくと、飛行機は日本国民にとって「軽視」されるどころか戦争の主役であり、総力戦における日本の勝利を可能にしてくれる一つの夢、象徴的な存在であった。

たとえば太平洋戦争最後の年である1945(昭和20)年1月、大本営海軍報道部長・海軍大佐栗原悦蔵の宣伝書『朝日時局新輯 戦争一本 比島戦局と必勝の構へ』は「連合艦隊の主兵は戦艦ではない」、飛行機と断言する。

その理由は、軍艦が膨大な鉄量と労働力、巨大な設備を必要とするが飛行機は少量の資材と簡易な方式で大量生産できるし、米国と同数の飛行機は作れないかもしれないが「大東亜戦域」の作戦に差し支えない程度の数は作れるはずだからである。栗原は戦争の主兵が飛行機であるのはじつに「天佑」だ、とまで語った。

本書の問いは、栗原大佐はこのような発言を国民の戦意高揚上おこなうことが【、なぜできたのか】、というものである。もし戦前日本で飛行機が軽視されていて人びとがその存在や役割をよく知らなければ、こうした宣伝は到底理解してもらえないはずだ。私はそこに、戦前の日本国民がかなり長期間受けてきた、飛行機や戦争に関する〈啓蒙〉の影響をみる。

栗原の発言は、巨大戦艦による戦争が古い〈軍の戦争〉であるなら、飛行機の戦争は新しい〈国民の戦争〉であったことを示している。後で詳しく述べるように、戦艦は膨大な資材や資金、労力を必要とするが、飛行機は国民一人一人のわずかな拠金や労働で多数を量産できるとされたからである。

本書では、このわかりやすい、ゆえに説得力ある図式が人びとのあいだに受け止められ、対米総力戦の長期化につながっていく過程を描きたい。

『胡桃澤盛日記』にみる国民の戦争認識

その戦前国民の一例として、一人の農民に登場してもらおう。戦時下の長野県下伊那郡河野村(現・豊丘村)で村長を務めていた胡桃澤盛(1905〈明治38〉~1946〈昭和21〉年)である。彼が戦時中つけていた日記より、その戦争についての認識、より詳しく言えば、現下の戦争がどのように戦われているのか、という点についての認識を概観してみよう。

彼が日々記した日記からわかるのは、「今議会の重要法案たる軍需会社法案――生産の委任制であり観方に依っては一大産業革命である。航空機の飛躍的増産、年末には二倍、来春三倍、十九年度に於ては対米同数の生産を挙げ得る」(1943〈昭和18〉年11月10日)、「此の歳を送るについての雑感。〔中略〕マキン、タラワの玉砕と戦局は我に有利でない。国内的には急速なる戦力の増強を目ざせる航空工業への重点集中〔中略〕愈々(いよいよ)緊迫せる戦局への備えに異常なるものあり」(同年12月31日)などとあるように、明らかに戦艦ではなく航空戦主体の戦争、もっといえば航空機生産競争としての戦争として認識、記録されていることである(「胡桃澤盛日記」刊行会編『胡桃澤盛日記 五』)。

こうした認識は村人にも共有されていたはずである。胡桃澤は、1943年10月14日の日記に、海軍航空兵募集宣伝のため村の国民学校体操場で上映された映画「ハワイ、マレー沖海戦」について、「観衆場外ニ溢レ千余。効果尠(すく)〔ナカラ〕ズト認メラル」と、私的な日記とは別につけていた「村長日誌」に記しているからだ。

胡桃澤は父が村会議員であり、自らも若くして村長となった村の名士であった。しかし学歴は小学校を出て農業学校に進んだのみで、あとは村で激しい農作業に従事しつつ、独学で新聞や文学書を読んで「自らの基礎学力の足らなさを痛感しつつ、修養を重ねていた」人である(池田勇太「胡桃澤盛について」)。その意味では特別な思想家やインテリではなく、普通の農民と言うべき人である。

こうした胡桃澤の日記の書きぶりは、当時の新聞などのマスメディアによる戦況報道が日米航空戦の熾烈さをくりかえし伝えるものであったから当たり前ともいえるが、問題は、なぜこのような認識が【、自然に】日記に綴られてゆくのだろうか、ということである。

少なくとも、胡桃澤にとっての戦争は、前出の歴史辞典上の説明とは異なり、その開始当初から大艦巨砲主義によって戦われたものではない。私は、このような特徴を持った戦争認識が日記に綴られたのは、それまでの社会における〈軍事リテラシー〉や、軍事知識の蓄積が前提と考えている。では、それらの知識とはいかなるものであり、どのように形成されていったのかを考えてみたい。

飛行機の戦争