歴史

旧日本軍はこうして日米開戦の「熱狂」を作り上げた

なぜすべての国民を戦争に巻き込めたのか
一之瀬 俊也

ちなみに『戦費と国債』には、「国債がこんなに激増して財政が破綻する心配はないか」という問いに「国が利子を支払つてもその金が国の外に出て行く訳でなく国内で広く国民の懐に入つて行く」から大丈夫という、現在の財政難日本でもよく見られるやりとりが載っていて興味深い。それはともかく、戦前の陸海軍が国民に戦費負担というかたちでの軍拡・戦争協力を訴えた書籍は他にもある。

陸軍大佐・保科貞次『国防軍備の常識』(1931年)や、海軍少佐・齋藤直幹『戦争と戦費』(1937年)は、飛行機などの近代軍備がいかに金がかかるものかを、縷々(るる)国民に解説した啓蒙書である。保科は、今後の戦費は「自然内国債といふことになるのである。故に戦費の調達といふことは、一に懸つて国民の腹に存」ずると述べて「国民の自覚」を求めた。彼は「戦争は国民全部の事業」であることを、この定価90銭の本で訴えたのである。

 

その6年後、日中戦争勃発後に刊行された齋藤の本も、戦費の多くが増税ではなく公債でまかなわれていると解説した。さらに「軍費は民間へどう撒(ま)かれるか」という章を設け、あたかも巨額の軍費支出が民間経済の刺激策であるかのような説明をしている。

そこで齋藤が、工業の盛んな都市に資金撒布が集中し、「農山漁村の軍事費均霑(きんてん)(=等しく行き渡ること)も今のところ大したものでないやうである」と書かざるをえなかったのは、当時の軍事費が単なる戦争の経費ではなく、不況下の農山漁村対策とも見なされていたことをうかがわせる。

このように日本の陸海軍人たちが、膨大な額に上る戦費の負担者である国民に向かって積極的に語りかける、すなわち説得する試みをしていたのは、直接的には、昭和恐慌下での重い軍事費負担が国民の怨嗟(えんさ)の的となり、政党内閣による海軍軍縮条約締結を後押ししたという苦い記憶のためだろう。

そして、第一次大戦時の欧米諸国が自国民の協力をうながすべく、国内宣伝に力を入れていたのを見たこともあろう。さらに歴史をさかのぼれば、日露戦争のポーツマス講和条約がロシアから賠償金をとれず、重い軍事費――税負担に堪えてきた国民の憤激と都市暴動(日比谷焼き打ち事件)を招いた事実もあのだ。

これらの事態をくりかえさないためには、国民に対して戦費の使い途――つまり将来の戦争がいかなる兵器によって戦われるのかを詳しく説明し、納得させる必要があった。軍事啓蒙書の刊行はその手段である。

軍事啓蒙書という視点

こうした一般向けの軍事啓蒙書やいわゆる日米仮想戦記は、これまでも注目され、その意味を問う著作が書かれてきた。作家・猪瀬直樹のノンフィクション『黒船の世紀』(1993年)が詳しく述べているように、明治末から昭和にかけての日本では、日米関係が悪化するといわゆる日米仮想戦記が流行した。

猪瀬はそれらの書物を「外圧のバロメーター」と位置づけ、そうした外圧にさらされてきた日本人の宿命、悲哀をみてとっている。つまり米国から日本移民排斥や侵略行動批判などの「外圧」が高まると、その反発として紙の上で日米戦争が勃発し、多くは日本が勝つのである。

猪瀬のこうした見方には、同書が書かれた1980~90年代初頭にかけての日米貿易摩擦が念頭にあったと想像される。

北村賢志(けんし)『日米もし戦わば 戦前戦中の「戦争論」を読む』(2008年)も、1931(昭和6)年から43年にかけて刊行された軍事知識の解説書、仮想戦記的な書物五点を分析し、一見無謀な、神がかり的発想で突入した対米戦争ではあるが、実際には「当時の日本人が決して神懸かりではなく、現在の日本人とさほど変わらぬ合理的な思考――そして現代と同レベルに非合理的な思考――を元に「将来の日米戦争」を予想していたことがうかがえる」と述べている。

北村は、それらの日米戦争を煽った書物の大半は対米戦争上「制空権」の獲得は重要だ、戦争の際に不利なのは日本近海まで長距離遠征を強いられる米国の方だなどと、当時としては多くの読者から「本書の記述には合理的な根拠がある」と受け止められるような書き方をしており、そのことが結果的に対米開戦へとつながっていく誤りをより深刻化させたと指摘する。