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谷川俊太郎さんが明かす「子どもに媚びない絵本を作ってきました」

『にじいろのさかな』から25年

わかちあうこと、勇気をもってたたかうこと―本当にたいせつなものをみつけるまでを描く絵本シリーズ「にじいろの さかな」が刊行されて、今年で25年。世界で3千万人に愛されるロングセラー絵本の最新刊『まけるのも だいじだよ にじいろの さかな』の翻訳を手がけたばかりの詩人・谷川俊太郎さんに、お話をうかがいました。
(聞き手:瀧晴巳)

言葉は音楽に恋してる

─『にじいろの さかな』(作/マーカス・フィスター)が刊行されてから、今年で25周年になります。訳者として、このシリーズが長く愛されてきた魅力は、どんなところにあると感じていらっしゃいますか。

まずは何といっても、あのきらきら光るうろこでしょうね。絵本の進歩のかたちとして、あのホログラフィーの技術が先にあったのか、フィスターさんのアイデアが先にあったのかってことにすごく興味がありました。

僕はテキストを書く人間で、絵の方は自分ではまったくわからないから、そこに新しい技術が使われていると、すごく嬉しくて楽しくて、やる気になるんですよ。

─谷川さんの翻訳が作品をより一層魅力的にしています。たとえば、主人公の名前「the Rainbow Fish」を「にじうお」と訳したのはなぜでしょう。

主人公の名前ですから、決める時はちょっと考えました。はじめは「にじいろのさかな」だったんだけど、それだと日本語としてぎこちないし、繰り返されるとごつごつしちゃう。だから一語にしたいというのはありましたね。

─一語にした方が、子どもたちが呼びやすいからですか。

いや、訳している時は、大人も子どももないんですよ。日本語として美しいかどうか、伝わりやすいかどうかということですね。「あおく ふかい とおくの うみに」というこのシリーズお決まりのフレーズも、実は相当推敲しています。意味的な推敲ではなくて、音的な推敲というのは、詩の場合でもよくやるし、特に絵本の場合、かなりやりますね。

外国語を日本語にする場合、意味的なことばかり考えるとどうしてもごつごつしてくるので、意味的なことは多少犠牲にしても、音的にきれいな日本語にしたいというのが常にあります。

─言葉づかいも子ども向けのくだけた調子にはしていない、そういうところも長く読まれてきた理由ではないかと。

子どもにこびたくないというのがあるから、大人の言葉になっちゃうのかもしれないね。子どもがその時にわからなくても、大人になってからわかればいいと思ってるところがあります。漢字は使わないという原則で訳しているし、ひらがな表記だから、使う言葉が限られてきますよね。

 

原書はドイツ語だから、英語に訳してもらったものから想像しているんだけど、原書のニュアンスを日本語でどう出すのか。しかもそれはわかるだけじゃなくて味わえるようにしないと。読む人がその気持ちになれるような感じにしないとね。

─絵本の場合、活字で読むより、だれかに読みきかせてもらうことも多いから、耳できいた時、音として美しい言葉であるというのは大切なことですよね。

おじいちゃんおばあちゃんがしてくれた昔話の音の連なりっていうのも、自然とそういうふうになっていますよね。語感とかリズムみたいなものってドイツ語ならこうなるしかない、日本語ならこうなるしかないっていうのがあるんですよ。

僕は、それをひと言で「調べ」と言ってることが多いんだけど、日本語なら基本的に七五調が体に入っていますよね。日本語独自の「調べ」があるから、それに沿っていこうみたいな気持ちがあるんです。

あともうひとつは「響き」ね。音楽だったら、ある音符と音符の間にメロディとかリズムがあるわけですよね。言葉にも、ある単語とある単語の間に、意味的な連関だけじゃなくて、あるいは音的な連関だけじゃなくて、音楽に近いような連なりをつくることができるんじゃないか。

僕の場合、ずっとそれを目指してきたところがある。音楽と同じような感動を、言語が与えることができるだろうかってことを一貫して何十年もやってきた。「言葉は音楽に恋してる」っていうのが、僕のキャッチフレーズなんです。

─『にじいろの さかな』の冒頭の語りは、まさに今おっしゃったことが行われているのだと思いました。子どもにもわかるかんたんな言葉なのに、通して読むときれいだなと感じるのは、音楽に近いものがあるからなんですね。

だと思います。活字で読んでもわからなかったことが、声に出して読んでみると、ちゃんと出てくる。どんな言語も、もともと音でしかなかったわけで、音になった言葉っていうのが、むしろ一番深いところに届くんじゃないか。