〔PHOTO〕岡本亮輔
メディア・マスコミ

「沖ノ島」世界遺産登録の光と影〜歓喜のウラで覆い隠されてきたもの

アジアでは絶大なブランド力を持つが…

2017年7月9日、福岡県の沖ノ島とその関連遺産の世界文化遺産登録が決定した。

登録直前の状況については、ニュースなどでご存知の方も多いだろう。日本が申請した資産に対し、ユネスコの諮問機関イコモスは一部だけの登録を勧告した。だが、ポーランドでの世界遺産委員会で勧告がくつがえされ、申請したすべての資産が登録されることになったのである。

勧告をくつがえしての登録は、関係機関・関係者の運動が結実したものであり、大きな成果と言って良い。他方で、歴史や伝統文化をめぐる学術・観光・政治のバランスという点では、今回の一連の動きは一考に値する。

欧米と異なり、世界遺産はアジアでは絶大なブランド力を持つ。日本でも世界遺産に登録されたとなれば、とりあえずは人が集まる。そのため、世界遺産登録それ自体が目的となるような状況すら生まれている。

世界遺産制度の理念

そもそも世界遺産制度はどのような理念の下に作られたのだろうか。

きっかけは、1960年、エジプトでアスワン・ハイ・ダムの建設が始まったことだ。ダム建設が進むと遺跡が湖底に沈むことが判明し、ユネスコの働きかけで数十ヵ国の協力が取りつけられ、大規模な遺跡移設が行われた。

これ以降、遺跡や記念物を国際的な協力の下に保護しようという機運が高まり、1972年に世界遺産条約がユネスコ総会において採択された(1975年発効)。

そして、1965年に文化遺産保護に関わる非政府組織として設立されたイコモス(国際記念物遺跡会議)が、世界遺産条約の採択以後、世界遺産登録審査やモニタリングなどを諮問機関として行なっている。

 

まず重要なのは、世界遺産は遺跡や記念物を「保護」するための制度であることだ。観光客集客とはまったく異なる文脈に棹さしており、むしろ観光によって対象が危機にさらされる例もあるくらいだ。

そして、こうした保護が想定されていたのは主として発展途上国であった。発展途上であるからこそ、先進国よりも開発の与える影響が急速かつ広範囲なものになりうる。それによって貴重な文化や自然が失われないように、たとえば文化財保護のための法整備なども含めた枠組み作りを促進することが目的だったのである。

しかし、現在では、世界遺産はミシュラン・ガイドなどと同じような対象の観光的価値を保証するブランドのように見なされている。

特に日本では、対象保護とはまったく異なる地域活性化や観光振興を目的に世界遺産登録を目指そうという運動も目立つようになってきた。世界遺産検定のような不思議なものまである。