経済・財政

アダム・スミスの「神の見えざる手」を多分、あなたも誤解している

「自由放任でOK」なんて言っていません
高 哲男

「正義」だけでも、世の中殺伐とする

スミスは、正義を基礎づけるものとして「道徳」を考えた。

正義の特徴は、それを侵犯すれば、社会によって処罰されるという点にある。これは、正義と法が同じ「ジャスティス」という言葉で表されることからもわかる。しかし、道徳は違う。社会の道徳に従わず、それを踏み外した場合には非難や軽蔑の対象になるだけだ。たとえ昼寝ばかりして怠惰にすごしても、正義を犯したわけではないから、罰せられることはない。

処罰を伴わないがゆえに、道徳による人間の行動の規制力は決して強くない。ここで注目しなければならないのは、道徳が人間の胸に呼びさます「義務感」だ。この義務感は、つねに自発的なものであるという特徴を持っている。

 

スミスは〈必要な援助が、愛、謝意、友情、および尊敬にもとづいて互恵的に与えられている場合、その社会は繁栄するし、幸福である〉という。この言葉の裏側には、これらすべてが自発的な「義務感」に由来する道徳に支えられている、という含意がある。正義によって人々を縛るだけでは、確かに社会の崩壊は回避できるかもしれないが、その社会は思いやりに欠け、きわめて殺伐としたものになるだろう。

「罰せられるから、これをしないでおこう」と考えることと、「この行いは、道徳的に考えて罪に値するだろうか」と逡巡することの間には大きな隔たりがある。前者は、統治者や神といった外部的な「強制力」に、後者は共感に基づく「自制心」に起因しているのだ。

『道徳感情論』に、スミスは「人間がまず隣人の、次に自分自身の行為や特徴を、自然に判断する際の原動力を分析するための論考」という長々しい副題をつけた(1774年の第4版から)。

ある行為の動機が何なのかを判断するためには、その行為の内容を知る必要がある。また、綱渡りをする演者を見て手に汗を握るのは、観客が演者の立場にわが身を置いて、演者の気持ちを汲み取って一体感を抱くからである。スミスはこれを共感と呼んだ。

こうした共感は相互の努力、つまり観察する側の「汲み取ろうとする努力」と、観察される側の「自分を抑制する努力」がなければ成り立たない。

さらにスミスは、行為の結果がいかなる影響をもたらすかについても考えをめぐらせた。ある行為の結果は、相手に謝意を抱かせた場合には「功績」であると判断されて是認されるが、反対に相手を怒らせてしまった場合には否認される。

この「結果」というのは、一見すると公平な基準であるように思えるが、実際には、行為の結果が他人からどのように評価されるかは時の運しだいである。