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ライフ

若者が「自分らしさ」を易々と捨てるシンプルな理由

いま、「私」とは何なのか

時代が変われば、人のメンタリティも変わる。

例として、団塊世代と団塊ジュニア世代を比べてみると、わかりやすい。

おおまかに言って、団塊世代はモノが乏しい時代に生まれたため、モノに恵まれることが幸福に直結しやすいメンタリティを形作った。

一方、飽食の時代に生まれた団塊ジュニア世代は、モノに恵まれるだけでは幸福にはなれなかった。

「自分らしい生き方」「他人とは違った生き方」が望まれ、モノは、自分らしさや他者との差異をつくりだすためのアクセサリとして買い求められた。「モノよりこころ」というフレーズが言われるようになったのも、団塊ジュニア世代あたりからだ。

これに似たことが、1980-90年代に若者だった世代と、それ以降の世代にも言える。バブル景気が終わって二十余年の歳月が流れるうちに、若者のメンタリティは少しずつ変わっていった。

たとえば2000年頃には、精神科外来で出会う若者から「自分らしさ」についての悩みを頻繁に耳にした。ところが、現在の若者からそのような悩みを耳にすることは滅多にない。たとえ病名や症状が同じでも、それらに対する語り口が変わってきているのである。なぜなのか?

私は1975年生まれなので、もう20代のメンタリティが手に取るようにわかるような年齢ではない。それでも、オンラインやオフラインで出会う若者の言動と、彼らが生まれ育った時代や環境には整合性がみられ、1980-90年代の若者とはいろいろ違っているようにみえる。そのあたりについて、記してみる。

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「自分らしさ」という言葉が消えた

私自身が若者だった1980-90年代と比べて、現代の若者のメンタリティでいちばん大きく違っていると感じるのは、「自分」や「自己」に対するこだわり具合、あるいは構え方だ。

私がまだ駆け出しの精神科医だった頃は、精神科外来で出会う同世代の患者さんから、「自分らしい生き方ができない」「自己実現できていない」といった言葉を頻繁に聞いた。

すべての若い患者さんがそうだったわけではないが、“うつ病”や“適応障害”と診断される患者さんの悩みとして、「自分らしさ」や「自己実現」は珍しくないフレーズだった。

ところが、2015~2017年の精神科外来で、こういったフレーズを若者の口から聞くことはめったに無い。今、精神科外来で「自分らしさ」や「自己実現」について語るのは、30代後半~40代の、元・若者が中心だ。

 

ネット上でのコミュニケーションでも、似たような変化を私は感じている。

個人のホームページが現役で、ブログが最新のカルチャーだった頃のネットユーザーは、自分が表現したいことを表現し、ささやかな承認をモチベーション源にしていた。

先発のSNSであるmixiにしても、「個人が、自分の日常や願望をそのまま書き綴っている」雰囲気が充満していた。芸風に特化したアカウントをつくり、「自分らしさ」から乖離したキャラを立てているユーザーは、あくまで少数だった。

しかし、FacebookやTwitter、Instagramが普及した現在では、そうでもなくなっている。

「自分らしさ」とアカウントは、必ずしも一致しなくなった。複数のアカウントをつくり、コミュニティや用途にあわせてキャラを使い分ける。あるいはLINEのトークや相手にあわせてキャラを切り替えることが、少数のネット芸人の特技ではなく、若者全般の処世術になった。

こういった変化を目の当たりにしていると、平成生まれの若者は、少なくとも昭和生まれの元・若者に比べて、「自分らしさ」や「自己実現」にこだわっていないようにみえる。

いや、彼らとて、自分自身を大切に思う気持ちはあろうし、夢や幸福を追求していないとも思えない。しかし、そのためのフレームワークとして、もはや「自分らしさ」や「自己実現」といった、ひとまとまりの自己像へのこだわりは、あまり必要とされていないようにみえるのだ。