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妻の発達障害を「なぜ治療しないのか」への、僕なりの答え

されど愛しきお妻様【17】

41歳で脳梗塞で倒れたルポライターの鈴木大介さんが、「大人の発達障害さん」のお妻様とタッグを組んで過酷な現代社会をサバイブしてきた18年間を振り返る本連載。今回から2回に渡り、2人の「脳が壊れた」ことによって失ったものと得たものについて振り返ります。

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不自由を障害にするのは環境

発達障害を抱えて育ち、かつてはそれを周囲に理解してもらえないことから自傷行為を繰り返し続け、30代半ばで発症した悪性脳腫瘍を生き抜いたお妻様。一方、脳梗塞を起こして高次脳機能障害の当事者になった僕。

同棲から18年あまり。お互いが脳に不自由を抱えたことで、ようやく我が家は平和を得ることができた。そして、ほぼ2年をかけて家庭の環境や夫婦の役割を改革してきた中で、改めて辿り着いた視座が「不自由を障害にするのは環境」だということだ。

何度も似たようなたとえを出すが、改めて想像してみてほしい。少し足が不自由なひとがいたとする。彼の足は不自由だが、みんながゆっくり歩く環境の中で、彼自身も無理せずに歩けるスピードで歩いていく分には、彼の不自由はさほど不便を感じさせない。この段階では「不自由は障害になっていない」。

 

けれどこれが、みんなが1㎞を10分で歩けることを前提にした環境や、そのスピードを強いられる集団の中にいたらどうか。彼は無理して求められる速度に合わせようとして、つまづいたり転んだり、早歩きできる人の邪魔になったりするだろう。周囲の速度に合わせられない自分をもどかしく思うだろう。この時点で初めて、その不自由は「障害になる」のだ。

しかも「脳が不自由」というのは、周囲から見てその不自由が分かりづらい。

「なんで早歩きしないの? 足がないとか怪我してるならまだしも、あなた両足ついてて普通に歩けてるじゃない。不自由にはみえないよ?」

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見えない不自由を抱えた人たちに、やろうとしてもできないことを強いる。そんな周囲の無理解が、一層当事者の不自由を苦しみ=障害にしてしまう。様々な障害支援の現場では良く言及されているこの考え方だが、僕は自身が当事者になって、ようやく心底その意味を理解することができた。

我が家の場合は、僕自身が不自由を抱えることで、僕がかつてお妻様がやりたくても出来ないことを叱責し続け、お妻様の抱えた不自由を障害にしてしまっていた過去にようやく気付き、そして「不自由の先輩」であるお妻様は、僕が抱えた不自由によって大きくつまずく前に支え、障害よりは受容の境地にソフトランディングさせてくれたのだ。

不自由を障害にするのは、周囲の環境であり家族であり社会。そう答えが出たとき、僕が感じたのは、「安心」だった。