学校・教育

子どもに「命令」できない親が急増中! それはただの責任放棄だ

世代間連鎖を防ぐ子育て論(4)
信田 さよ子 プロフィール

「お願い」では子どもと向き合えない

・タイプ5(ひとのせいにする親)

タイプ5の例も、責任をとることに対する怯えとつながっています。

周囲の人がいやがるからやめて、とは、何とも卑怯な言い方に思えます。「おまわりさんが来るよ」と脅す親は昔からいましたが、その場にいる周囲のひとたちのせいにするなんて、大きな迷惑以外の何物でもありません。

神様が見てるから、と言えないので、「みんなが迷惑するから」という言い方になるのでしょう。

これも、親の責任逃れです。育児だけではありません、あらゆる場面で現代は「引き受ける」ことを怖れるようになっている気がします。

神や仏ではなく、日本には「世間」しかないといった学者がいましたが、こんな身近な言葉からもそれを感じとることができます。

人のせいにしながら、子どもにいうことをきかせようとするのはやめましょう。

 

親である自分が、正面からはっきりと伝えるのです。それが命令形になるのは、自分が命令しているからではなく、社会の一員として当然なことを親として伝えているからだ、と自信をもちましょう。

はっきりと言うことが、親の責任を果たすことなのです。

子どもが抵抗し反抗できる親であること、ちゃんと自分の責任で対峙してくれる親であること。それが親のもっとも大切な役割であり、親の責任を果たすということだと思います。

人間として自立の条件とはと問われたら、責任をとること、引き受けることだと答えるでしょう。

お願いばかりしている親に、子どもに対して「自立しなさい」という資格はないとさえ思います。

もちろん、子どもの意見に耳を傾けることは必要です。しかし、子どもに迎合してしまうことは問題ではないでしょうか。

子どもの意見に対して、親のほうははっきりと自分の意見を伝えなければなりません。ダメなものはダメと親が断定することは、子どもと親との立場の違い、境界の存在を明らかにするでしょう。

「お願い」することは、子どもを対等に扱っているという錯覚を生みだすので厄介です。それは似非(えせ)対等でしかありません。

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繰り返しますが、子どもは親と対等ではありません。同じように人としての権利を持ってはいますが、子どもはまだまだ保護され、ケアされなければ生きていけないのです。

力の圧倒的差を考えると、それを無視して、まるで友だちのように、じゃれあったりお願いしたりすることは、親が子どもと正面から向き合うことを怖れた責任逃れと表裏一体であることを、強調したいと思います。

(つづく)