学校・教育

子どもに「命令」できない親が急増中! それはただの責任放棄だ

世代間連鎖を防ぐ子育て論(4)
信田 さよ子 プロフィール

親が「お願い」する理由はいくつか考えられます。

ひとつは、子どもに命令することが怖いのかもしれません。育児書などの影響で、虐待することに過剰に敏感になっていると、子どもに命令してはいけないと怯えてしまうのではないでしょうか。

「命令」の反対が「お願い」だ、そう考える親たちは、「しなさい」「だめです」という代わりに、「○○してください」とお願いするのです。

もうひとつは、はっきりと伝えた結果、子どもに拒否されたり、反発されることが怖いからではないでしょうか。だからやんわりとお願い口調で伝えるのかもしれません。

photo by iStock

このように、子どもに嫌われるかもしれないと怯える親たちは少なくありません。一部の虐待は、たとえば「離乳食を食べないことは子どもからの拒絶だ」とする親の思考回路から起きたりします。

子どもに拒否されたことでパニックに陥り、激しく子どもに怒りをぶつける親は珍しくないのです。

命令されたり拒絶されたりすることに敏感な親たちは、子どもに対して命令することに怯えます。これらに共通しているのは、親である自分と子どもを対等に考えている点です。

子どもだって人間なんだから、対等に扱うべきだろう。無下に命令するのはまずいと思う。

これは一見とても正しいことのように思えます。たしかに一種の「理念」として、これは正しいのです。

「お願い」口調は親の責任逃れである

さて、その「理念」のどこが問題なのでしょう。

対等という理念は、人権という視点からは何ら問題はありません。しかし現実の親子関係においては、親は子どもと対等ではありません。

産んだこと、そして監護者=養育者という責任を負っています。言葉を操れるようになるまでに、どれほど親からのケアや保護・養育が必要かは言うまでもないでしょう。

裏返せば、親のほうがはるかに力があり、どうやっても強い立場なのです。嫌われようと好かれようと、親であることから逃れることはできません。

 

だからこそ、はっきりと命令形で伝えなければならないのです。「やめなさい」と。

このような親たちは、もし子どもが万引きをしたときに次のように言うでしょうか。
「そんなことやめてください」
「もう二度としないでね」
と。

「お願い」するふたつの理由から浮かび上がるのは、親の側の怯えです。虐待じゃないか、嫌われるんじゃないか、という怯えが、お願い口調を生んでいるのです。

「命令なんかしてないよ、とりあえず頼んでるんだから、やるかやらないかは決めていいんだよ」と。

これは一見、子どもの主体性を尊重しているようですが、じつは親が責任逃れをしているのです。

「~しなさい」というとき、親は規則や行為を押し付けるのですから、当然押し付けた責任を背負うことになります。

キリスト教圏では、神様という存在が命令を正当化します。神様が見ている、神様の許しを乞うのだ、という視点があるために、親は明確に子どもに「~すべき」と伝えて、「やめなさい」と断定して命令できるのです。神の存在が親の正しさを保障してくれるということです。

いっぽう、日本では、親の命令は単に権力乱用であり、威張っているだけだ、つまり虐待だと考えられがちです。

また、子どもに嫌われるのが怖いというのは、判断の主体を子どもに押し付けて、拒否した子どものせいにしていることになります。

このように、親が責任をもって子どもに「○○してはいけません」「○○しなさい」と発言しないことから見えてくるのは、責任をとることに対する不安や怯えでしょう。

もっとはっきり言えば、責任逃れの姿勢が「お願い」口調にあらわれていると思います。

子どもの立場からすれば、親からお願いされたら、いったい、誰に向かって反発すればいいのか、わからなくなってしまうでしょう。

明らかな命令に反抗したのであれば、子どもの反発は命令した人が引き受けなければなりませんが、「お願い」に反したとなれば、強制もしていない親に反発する子どもが悪いことになってしまうのです。