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燃え殻さんのデビュー作がベストセラーになるまで

「小説ってなに?」からはじめたのに…
宮田 文久 プロフィール

これからどこに向かうのか

――映画『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』について、彼女と話すシーンも印象的ですよね。まさに覚めない“夢”を見続ける映画について、夢の真っ只中にいる二人が語っている。

燃え殻 今までその“夢”がずっと終わっていなかったような感覚もあります。『ビューティフル・ドリーマー』のように、寝ても覚めても、どこか自分はあの時に留まっているような。「もういい歳なんだから、終わりにしなきゃいけないな」とは思うんですが、「僕はもう大人になった」「いい思い出だったよ」とはまったく言えなくて……。

ちょっと酒を飲んで気がゆるんだら、20年ぐらい前のことを「このあいださ」って言っちゃいそうになるくらいの生々しさがあるんですよね。

一生懸命思い出して書いているというのではなくて、過去がすごく近くにあるというか、“横にある記憶”なんです。積み重なっていくものではなくて、昨日のことのように20年前の話をしていて、横に並んでいる感覚があるんですよ。

 

――そうした感覚で書かれているからこそ、読者も五感を刺激されるのかもしれませんね。レコードショップ・六本木WAVEの袋が出てくると、カサカサ鳴っていたんだろうなあと思いますし、主人公が食べるココナッツ・カレーや、浄化される前の横浜・黄金町の“匂い”も漂ってくるような気がします。

燃え殻 僕、すごく“匂い”で記憶するんですよね。電車の中とかで「あれ? 昔付き合った女の匂いがするな」という瞬間ってありませんか? 画として覚えているというよりも、「あ、ここの安い芳香剤の匂い、あのラブホテルのと近いな」とか。Twitterでも140字のなかにそういう“匂い”を書いていると、「あれに似てますよね」「わかる、わかる」みたいな感じで、共通言語になっていく感触があって。そういう意味で、僕は“匂い”の記憶は信用しています。

――だからかもしれませんね、主人公が恋愛からセックスのノウハウまで参考にしている『Hot-Dog PRESS』の描写を見たときに、あのインクの“匂い”を思い出しました(笑)。

燃え殻 ありましたね、独特の、安いインクの“匂い”(笑)。

宮川 プルースト『失われた時をもとめて』のマドレーヌみたいなものですね。

阪上 燃え殻さんは、現代のプルーストだ!

燃え殻 ほんと、そういうのはやめてください…。でも、作品に匂いを感じてくれるというのは、とても嬉しいです。

――これだけ多くの人の心に響いているのには理由があると思うんです。自由に生きればいいと言われながらも自由になれない僕たちにとって、小説内で二人が連れ立って旅に出るときに彼女が言う「どこに行くかじゃなくて、誰と行くかなんだよ」という言葉をはじめ、すごく豊かな響き方をするフレーズに満ちていますよね。それは時代の描写を越えて届くものだと思います。

燃え殻 僕にとっても宮川さんにとってもすごく嬉しかった感想がありまして。それは女子高生から届いたものなんですが、「私はまだ女子高生なので、この小説に出てくるようなことは経験したことがないけど、懐かしい気持ちになりました」と言われたんです。

たとえば僕も、小説を読んだり映画を観たりして、登場人物たちと同じ経験をしたことはないけど、どこか懐かしい気持ちになったり、同じ気持ちになれたりする瞬間がある。この小説も、そうした届き方をしてくれればいいなと願っています。

――ひとつの作品を書き切って、これから燃え殻さんはどこに向かうのか、とても気になります。最後に、「これから」について伺いたいのですが。

燃え殻 先ほどもちょっと話しましたけれど、いまはまだ「気が済んだ」という気持ちがやっぱりあって、これからまた新しい小説を書くのかは、なんとも言えませんね。

この間、美術家の会田誠さんと飲んでいる時に、「『人は誰でも、自分の人生を題材に一冊は小説が書ける』という話がありますけど、あれ、本当ですね。僕も一冊、書けました」と何気なく話したら、「それは違うよ。小説は誰でも書けるかもしれないけれど、面白い小説は誰でも書けるわけじゃないんだから。あなたの小説は、面白かった」と仰って……。そんなこと言われたら、嬉しいに決まってるじゃないですか。

そう言ってもらえる小説を一つ書けただけでも、俺の人生、十分だったじゃないか、とは思っています。

ただ、根っからの下請け体質なので、「また書いてください」と“発注”されたら、断れないかもしれませんね…。

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