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燃え殻さんのデビュー作がベストセラーになるまで

「小説ってなに?」からはじめたのに…
宮田 文久 プロフィール

いまなら肯定できる

――そうした過去へのネガティブな思いが、すべてポジティブに転化していったんですか。

燃え殻 うん、そうですね。小説内で主人公が付き合う彼女とのエピソードにかんしては、嘘も本当もいっぱい入っているんですが、「キミは大丈夫だよ、おもしろいもん」という言葉は、彼女が本当に言ってくれたことでした。「大丈夫、大丈夫」みたいなことをよく言ってくれて、それは本当に漠然としていて、彼女も僕も幼かったし、それこそ樋口さんが酒に酔って「お前、小説書け」と言ったぐらいに、その言葉に意味はなかったんです(笑)。

それでも僕は、彼女のことも、樋口さんや宮川さんも、そう言ってくれるなら信用しようと思った、と言いますか……。

――その場その場の会話では言葉に深い意味がなくても、やっぱりちょっとずつ“真実”が含まれているということなんでしょうね。

燃え殻 あと、人が言ってくれたり、思ってくれたりしたものぐらいは“本当”にしたいな、という気持ちもありました。樋口さんに「小説を書け」と言われれば、それを本当にしたいなって。小説で描いた彼女にも「だから君の人生、大丈夫って言ったじゃん」と言われるでしょうが、「そうだったね。うん、大丈夫だった」と返せるくらいにはしたいな、と思ったんです。

 

――今の話は、『ボクたち』という小説の構成ともシンクロしていますよね。SNSでたまたま昔の彼女を見つけた瞬間から、記憶がフラッシュバックしていくような書き方になっている。

それが「あんなこと言わなければよかった、しなければよかった」という、ネガティブなIfの方向に振れる可能性もあったと思うんですが、この小説を読み終わった時、読者はすごくポジティブな印象を受けるはずです。「ああ、この主人公にとっても、自分にとっても、過去は否定しなくてもいいものなんだな」と。

燃え殻 僕自身も、過去の思い出に対して、「それでよかったんだ」と言いたかったんだと思います。もちろんバッドエンドの人生を迎える人もいるでしょうし、自分自身もいつかバッドエンドになることもあるかもしれないんですが、それは仕方ない、それでよかったんだよね――そう思えないと、人は前に進んでいけない。そんな感情を抱きながら、書いていたような気がします。

――過去の描き方も独特ですよね。まるで時代を下から見た『なんとなく、クリスタル』とでも言うのか、バイトに通う中で耳にイヤホンを突っ込んで聞く小沢健二とか……。あれも「それでよかった」という肯定感につながる要素だと思うのですが。

燃え殻 1993年に発売された小沢健二の『犬は吠えるがキャラバンは進む』というアルバムが、当時の僕には良いとは思えなかったんですよ。あの頃流行っていた、女性歌手のヴァネッサ・パラディも、渋谷系も、彼女が好きだった高円寺「むげん堂」のアジア雑貨も、本当は良いと思っていなかったかもしれない。

でも、「これがいいんだよ」といつかわかる時が来るんじゃないかと思っていた…というか、そう思いたかったんですよね。僕も無理やりアニエス・ベーを着て、彼女とお互いあんまり似合っていない流行の服で、居心地がいいようは言えないようなアート作品を見に行って。でもそのうち、自分たちもそれに見合う存在になるんじゃないか、どこかでわかるんじゃないか、と思いながら背伸びをしていました。

そうして背伸びをしていたからこそ、今は『犬は吠えるが~』というアルバムも懐かしむことができますし、今だったらわかるよ、と言えることも多いんです。過去の自分を、いまなら肯定できる…いや、過去の自分があるから、いまの自分が肯定できる、のほうかもしれない。

――当時はそういう情報の洪水から距離をとるために、ラブホテルに二人で引きこもっていた、という面もあるんでしょうか。「まるでキュートでポップな阿部定だな」と思いながら読んでいたんですが。自分たちが生き延びることのできる世界を、二人で何とか構築していくような。

燃え殻 裏原宿とか、最新の流行の情報がドンドン来るけれどそれには追い付けず、かといって遅れるのは嫌で背伸びをしていて、わかったつもりになっていたんです。でも、それもやっぱりキツいので、どこかに避難したかったんです。ラブホテルの真っ暗な空間にいると、ダサいお互いの外見も見なくていい。世の中で“二人ぼっち”みたいで、みっともなくもなれるし、どこか人間らしく「生きてる……」と思えたというか。

つげ義春の『無能の人』を読んだ時に僕、泣いちゃったんですよ。田舎の民宿のような真っ暗な部屋に家族三人で泊まって、宇宙の中に蒲団があるコマに「なんだか世の中から孤立して、この広い宇宙に三人だけみたい」というセリフがあって……「すげえ分かる!」って(笑)。あのダサくて安いラブホテルの一室で、「俺たち、もう世界中で二人きりみたいだよね」と思いながら、安心してホッとしていたんでしょうね。