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ライフ

小林麻央報道「可哀想」と括りたがる人は自分の首を絞めている

人間を本当に苦しめるものは?

追われる日々に何かを忘れる

先日亡くなられた小林麻央さん。闘病中に寄稿したBBCの原稿に、今もし自分の命が途絶えたら「まだ34歳の若さで、可哀想に」などと言われるかもしれないが、そうは思われたくない、なぜならば「病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないから」と記していた。

とても聡明な見解に思えた。案の定、「早すぎる」「この若さで」という常套句が繰り返されたが、報道する側は、いつもの手癖で「可哀想」の箱に入れようと急いだ。視聴者の同情を簡素に呼び寄せることに躊躇いがないのである。

磯野真穂『医療者が語る答えなき世界』は、患者ではなく医療者が現場で何を思索しているのか、文化人類学者が聞き込みを行った一冊。

文化人類学は「立ち止まることを奨励する学問」だが、医療者は「日々進まねばならない」、さもなければ命が危うくなるからだ。私たちは医療に病の解消だけを求め、それが達成されない時、失望を直接的に向ける。

医療者が語る答えなき世界

著者は、この現代社会は「人・時間・空間の切り離し」が容易になり、そのことで「この人がいまここにいる必要は必ずしもない」環境が生まれているとする。この感覚が医療の現場にも染み込んでいる。

だが、医療者の各々が一旦立ち止まることを諦めているわけではない。日々仕事に追われるケアワーカーの一人は、自分は一体何に追われているのかと見つめ直す。

 

お年寄りに追われているのではなく、ただただスケジュールに追われていたと気付く。100歳のおばあちゃんの、いつも穿いているスカートのゴムが緩んでしまった。買いに行きたいと看護師長に申し出ると、一緒に行くのも代わりに買いに行くのもダメだと断られてしまう。前例がないからだ。

「スカートのゴムも変えられない病院ってなんなんだろう」と疑問に思う。例外を作らない運営が、病をいつもの箱に押し込めてしまう。その箱に詰まっているのは、一元的な「可哀想」の声だ。

二重の差別の果てに

在日韓国人二世の崔南龍は10歳の頃にハンセン病を発病した。「この糞たれ奴、お前さえいなければ、おれは何時でも死んでやるんだが……」としきりに口にするようになった父は、息子を一人残して自死を遂げてしまう。

一枚の切符』は、瀬戸内海の孤島にある国立療養所・邑久光明園に収容されること実に75年、今では完全に失明した著者が口述筆記の形で残す、差別との闘いの記録だ。

一枚の切符

自身を「国家によって、生きる価値がないとされた者」と規定した上で、それでも生き抜いたのは「生を否定された者が抱く、『殺されてたまるものか』と自分を肯定する本能」があったからこそ、そして「そこに抵抗があるからだ」、だから生きたのだ、と繰り返す。

ハンセン病は、病原菌が特定されるまでは、病気ではなく「業の病」と思われていた。昭和初期には「無癩県運動」が盛んになり、列車での「強制収容」も行われていた。

患者が構内ホームから列車に乗るまでの道には消毒液がまかれ、黒くなったところを歩かされた。その患者輸送は、「まるで牛や豚を追いこむのと同じ扱いだった」という。