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なぜ日本人は日本国憲法を「素直に」読むことができないのか

「アメリカの影」というタブー

素朴な憲法解釈の鍵

日本国憲法を、素直に、そしてなるべく実際的に、読む方法はないだろうか。

神学的な論争のための教条的な解釈を振りかざすのではなく、あるいはイデオロギー的立場にそった駆け引きの道具とするのでもなく、最も素直に、そして実際の社会のあり方に即した形で、日本国憲法を読み、運用する、ということはできないだろうか。 

一つ、やってみるべきことがある。アメリカ人が日本国憲法を起草した、その事実を、淡々と、素直に、受け入れてみることである。最も素直で、実際的な憲法解釈は、そこから自然に生まれてくる。

アメリカ人が憲法を起草したことは、誰でも知っている事実だ。ところが、それにもかかわらず、その事実を、「受け入れる」、となると、簡単ではない。

右派/保守/改憲派は、アメリカ人による憲法起草という事実を不本意なものとして捉える。そしてその状態を是正するために、自主憲法制定を唱える。現行憲法はマッカーサーが日本人に押し付けたものにすぎない、と主張する、いわゆる「押しつけ憲法」論である。

左派/リベラル/護憲派は、アメリカの影を追い払おうとする。憲法はアメリカ人ではなく、革命を起こした「国民」が主権を奪って制定した、と唱え、主権者の意思の結晶としての憲法9条を神格化し、日米安保体制も批判する。ポツダム宣言受諾時に革命を起こして主権を奪った「国民」が憲法を制定したのだ、と主張する、いわゆる「八月革命」論である。

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両陣営ともに、政治的思惑に即した態度をとることを優先させた上で、憲法解釈のあり方を決める、という姿勢だ。そして政治イデオロギーでは真っ向から対立するが、アメリカ人が憲法を起草した事実を否定しようとする点は、共通している。

今日の憲法論議でも、こうした左右対立が鮮明に現れることが多い。というか、論争相手に一方的にレッテルを貼ってやりこめようとする人があまりに多いため、左右対立軸ではない言説も、全て左右対立軸に吸収されて理解されてしまうのである。

 

私は1991年に大学を卒業したが、社会に出るときに冷戦が終わっていた最初の世代だと考えている。私より下の世代では、冷戦構造とは歴史の教科書の中の話でしかないだろう。

学生運動が終わった後に生まれた世代には、「押しつけ憲法」論と「八月革命」論の二者択一などは、窮屈なものでしかない。しかも全く実際的ではない。

現代世界の各国の様子を見てみれば、(外国人)専門家が助言をして法整備を進めることは、珍しい事ではない。軍事介入の後の国際的な平和活動で、憲法体系の刷新を図っていくことも、珍しい事ではない。

あとは日本人自身が、そのような数多くの諸国と同じように、日本も外国の影響を受けて憲法を作った、ということを認めればよい。しかし、70年以上にわたって、日本人はそれを避けてきた。今後も避け続けるのだろうか。