防衛・安全保障 エンタメ

国民の恐怖はカネになる…ハリウッドが警告し続ける軍産複合体の冷血

アバター、アイアンマンからローガンまで
遠藤 徹 プロフィール

もう少し具体的に見ていこう。Na'viと呼ばれる人々が暮らすパンドラと呼ばれる惑星には、アンオブテイニウム(unobtainium=手に入れることができないもの、の意)と呼ばれる資源がある。RDAが求めるものはこの資源である。

ところが、このアンオブテイニウムは、Na'viにとって精神的・社会的な支柱である「生命の樹」の中にあり、これを破壊しなければ入手できない。

監督のキャメロン自身は、アンオブテイニウムとは、南アフリカのダイヤモンドであり、19世紀のイギリスにとってのインドのお茶であり、20世紀のアメリカにとっての石油であると説明している。ある特定の集団が、別の集団の祖先からの地にあるものを奪い取るということだ。

それを可能にするのがテクノロジーにおける優越なのであるが、ここにもひとつ皮肉な逆説が存在する。それは、主人公ジェイク・スカリーは車椅子の水兵だという点である。つまり、主人公は本来であれば、軍人としてもはや役に立たない存在なのである。

ところが、Na'viに気取られぬように接近する手段として、Na'viそっくりなアバター、すなわち分身の体に入り込む能力において優れていたために、彼はスパイとして送り込まれることになる。

すなわちアバターに転移することによって、失った両足の力をとり戻すことになるわけだ。当初は、RDAおよび、SecOpによって放たれたスパイであったスカリーだが、やがて、彼はNa'viの高貴な人間性に気づくことになる。

人間性を失ったのは、むしろ自分たち地球人の方なのだ。Na'viこそがアメリカ軍産複合体の犠牲者なのだと。だから、彼はNa'viとともに軍産複合体に反旗を翻し、これを打ち倒す英雄となるのである。

 

『アイアンマン』はどうか?

『アイアンマン』(2008)では、この軍産複合体に組み込まれた兵器産業が物語の中心に位置している。

主人公トニー・スタークは、天才科学者にして巨大兵器産業の総帥だ。彼の信条は、強力な兵器の存在が平和のための抑止力となるというものだ。けれどもトニーは、アフガニスタンで、自社の兵器が敵側にも使われていることを知る。

つまり、自分が作った兵器が、自国のために戦う兵士を殺すためにも使われていたということである。これ以後、彼は兵器の製造を中止することを宣言するが、CEO の裏切りにあい命をすら脅かされる。

そんな中、彼は密かに開発したスーツを身にまとったアイアンマンとなることで、自らがすべての戦争を抑止する究極の兵器となる。第一作のラスト、記者会見で「わたしがアイアンマンだ」と告白する場面は、その意味で軍産複合体に対する挑戦状となる。

Photo by GettyImages

『アイアンマン2』の冒頭でトニーは、「わたしが平和を私物化した」と語る。この発言で、トニーは国家を敵に回すことになる。なぜなら、世界の警察を自認するアメリカ政府にとって、平和を操作する力は「国家」のものでなければならないからだ。

アメリカ政府はトニーに対しアイアンマンの技術を提供するよう要請するが、トニーは、「わたしがアイアンマンだ。政府がわたしを手に入れることはできない」と拒む。

また『アイアンマン3』(2013)に登場する敵役アルドリッチ・キリアンが率いる企業『アドバンスト・アイデア・メカニックス(A.I.M)』もまた、軍産複合体のひとつである。

しかも、陰で架空のテロリスト、マンダリンを操り、テロの脅威を煽ることで自社の兵器を売り込むという「永遠の脅威」を自ら作り出そうとしている。この点において、キリアンはまさに典型的な軍産複合体のイデオロギーを体現しているといえる。

こうした現状の中、この映画のラストで、トニーが自らアイアンマンスーツを破壊し、一般人に戻るという結末は果たしてハッピーエンドと見なしてよいのだろうか? 軍産複合体に対する抑止力であったアイアンマンが不在になることは、政治的には現状の追認につながってしまうのではないか? そんな疑問を残すエンディングであった。