野球

稀代の戦術家・上田利治監督が野球界に残したもの

注目すべきは、猛抗議ばかりじゃない

奇策と呼ばれたが

さる6月1日に死去した上田利治さんは阪急を5度のリーグ優勝、3度の日本一に導いた名将です。“闘将”と呼ばれた西本幸雄さんが、ヘッドコーチだった上田さんを後継監督に指名した時には、「実績がない」と周囲から随分、批判されました。

確かに上田さんの現役時代の実績は広島での3年間のみで通算56安打、2本塁打とパッとしません。「実績のある選手がついてくるか」との陰口も聞かれましたが、上田さんは優れた采配で“雑音”を称賛に変えました。その意味では無名選手が名監督になった特筆すべき例のひとつといっていいでしょう。

阪急の監督時代、上田さんが得意にした戦法があります。それは1死一、三塁からのヒットエンドランです。どうしても1点が欲しい時には、1死三塁の場面で、これを用いることもありました。

もちろん、三塁ランナーが俊足でなければ、この戦法は成立しません。上田さんが敢行したのは主に三塁に福本豊選手や簑田浩二選手、バーニー・ウィリアムズ選手など“足自慢”がいる時でした。

 

だが、この戦法は危険と背中合わせです。バッテリーがヒットエンドランのサインを見るなり、ピッチャーがウェストボールを投じれば、バットに命中させるのは容易ではありません。よしんばストライクゾーン付近にきたとしてもゴロを転がさなければ意味がありません。また内野手の正面に飛んだり、当たりが強ければ併殺のリスクがあります。

そのため、最初のうちは“奇策”と見なされましたが、ピタリピタリと的中するようになるにつれ、他球団も防御策を講じざるを得なくなってきました。

そのひとつがライオンズ一筋、20年間で通算251勝をあげた東尾修さんの“インスラ”です。