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週刊現代 思想

第三次世界大戦の可能性を、文学的視点から読み解く

おなじ轍を踏まないためにも

第三次世界大戦はこうして始まる

第一次世界大戦(1914~1918年)による大量殺戮と大量破壊は、啓蒙によって人類は幸福をつかむことができるという楽観主義を徹底的に破壊した。

国際連盟を結成し、戦争を避けようとする試みも、ナチス・ドイツの台頭を抑えることができずに第二次世界大戦(1939~1945年)をもたらした。21世紀に入って、第一次世界大戦が人類に突きつけた課題は、未だに解決されていないと思う。

米国のトランプ大統領が中東情勢でハンドリングを少し誤ると、第三次世界大戦に発展する危険性すら排除されない。このような状況で、第一次世界大戦について、思想的、文学的に真剣に思索した作品を読み解くことは、重要な意味がある。

その一つが、ヘルマン・ヘッセが1919年にエーミール・シンクレールというペンネームで発表した『デミアン、ある少年時代の物語』だ。

主人公のシンクレールが、ラテン語学校(現在でいうならば高偏差値の中高一貫校)で一緒だった既存の思想の枠組みにとらわれないデミアンという少年について回想する。特に重要なのが、旧約聖書「創世記」の兄のカインが弟のアベルを殺した物語の読み換えだ。

ルーベンスが描いたカインとアベルの絵(Photo by wikipedia)

カインは共同体から追放されるが、神はカインの額に印をつけ、この印がついているので殺されることはないと保証する。主人公とデミアンは学校の帰り道でこんな話をする。

〈「カインの話にはまったく別な解釈をすることもできるんだ。ぼくたちがおそわるたいていのことは、たしかにほんとで正しい。だが、どんなことでも先生とは違った見方をすることができる。

しかも、そうすると、すべてのことがたいていずっとまさった意味を持つようになる。たとえば、このカインと彼の額のしるしについても、ぼくたちは与えられる説明ではやはりほんとに満足することができない。きみもそう思わないかい?

 

だれかがけんかをして自分の兄弟を打ち殺すというのは、たしかに起こりうることだ。彼がそのあとで不安になって小さくなるということも、ありうることだ。

だが、その臆病さに対して、彼を保護しすべてのほかの人に恐れをいだかすような記章をもって、彼が特別に表彰されるというのは、なんといってもまったく妙なことだ」

「むろんだ」と、私は興味をそそられて言った。この事柄は私をひきつけだした。「でも、その話にいったいどういう別な説明をすればいいんだろう?」

彼は私の肩をたたいた。