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ハリウッドの一流が、礼儀作法に一つもこだわらない理由

たった二つの価値観だけあればいい

仕事でハリウッドに行く時は、必ず空港でレンタカーをする。映画やテレビドラマの企画開発を共に進めているプロデューサーや脚本家と会うたびに、また、新しい企画を立ち上げるためにエグゼクティブや弁護士と交渉するたびに、体内でアドレナリンが分泌して、交感神経が興奮するからだ。

そんなミーティングの後に、誰かが運転するUberの後部座席に収まってしまうと、高揚感のやり場に困ってそわそわする。そんな時は、車のハンドルを自分で握って、運転席の窓を解放して、カリフォルニアの陽光と風をふんだんに取り込みたい。

ラジオをつけて、その瞬間人気の絶頂にあるポップ・シンガーの――ブルーノ・マーズでも、ザ・チャインスモーカーズでも、アリアナ・グランデでもいい。痛々しいほど激しい狂い咲きを演じて、数年後には忘却の彼方に葬り去られる宿命にあるポップ・シンガーの――思い切りベタなポップソングを聞いて、車を走らせたくなるのだ。

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うまく行くミーティングばかりではない。事実、多くのミーティングはまったくダメな結果に終わるわけだが、そんな時も、やはり車のハンドルは自分で握っていたい。怒り、屈辱感、フラストレーションを、後部座席にいてはとても処理しきれないからだ。

1、2週間の出張を組んでハリウッドに行くと、良い時も悪い時も、感情の起伏を伴わない事務的なミーティングというものが、本当に少ない。多幸感であれ、挫折感であれ、とにかく何らかの感情が必ず喚起されるのは、まさに彼の地で製作される映画やテレビドラマを鑑賞する体験に似ている。先週、再びそんな出張を終えて帰国した。

ハリウッド出張特有の高揚感

筆者は、日本の小説家、漫画家の作品を、諸外国に紹介する仕事に従事している。その一環として、ハリウッドでビジネスを作れないかと考えて、初めてロサンゼルスに出張してみた3年前、特に印象的だった一人のプロデューサーとのミーティングがある。

指定された住所にたどり着くと、真っ白いインテリアの受付では、まるでモデルか女優のような(いや、実際にモデルか女優なのだろう)、2メートル近い身長にさらにヒールを履いた女性が2人、作り物にしか見えない真っ白な歯を覗かせて微笑んでいた。

谷崎潤一郎の、「アメリカ人の・・・白い汚れ目のない歯列を見ると、何んとなく西洋便所のタイル張りの床を想い出すのである」という一節がつい頭をよぎるが、こちらも笑顔で要件を伝えると、しばらくしてガラス張りの大きなオフィスに通してもらえる。

見るからに高級なソファーに踏ん反り返っていた(筆者はこの時、「踏ん反り返る」という動詞を体現している人物を、初めて実際に目撃した)大男が、そのプロデューサーである。彼は目の前のコーヒーテーブルに足を投げ出し、綺麗に磨かれた革靴の裏側をこちらに見せると、「それで、要件は何かな?」と言って筆者を見据えた。

傲慢で無神経なハリウッド・プロデューサー像というものは、往年のハリウッド映画が繰り返し描写してきたため(『バートン・フィンク』のマイケル・ラーナー、『トロピック・サンダー 史上最低の作戦』のトム・クルーズなどが思いつく)、もはや一つのカリカチュアとして流通するわけだが、筆者のミーティング相手は、そのキャラクターをわざと忠実に演じているとしか思えない人物だった。