ケネディとフルシチョフ。ウィーンにて〔PHOTO〕gettyimages
国際・外交 芸術

冷戦下、米ソ緊張の舞台裏で両国をつないだ音楽家たちの物語

国家の威信と芸術と…

冷戦下の米ソの「友好」

北朝鮮のミサイル実験が続く。

アメリカと北朝鮮の関係も、いっときほどではないが、緊張が続いている。

ちょうど冷戦時代の音楽家たちの動向について調べていたので、よけいに危機感を抱いていた。米ソ冷戦時代は、たしかに両国は敵対していたが、その一方で、平和と友好の関係も模索し、どうにかパイプができると、それを維持していた。だが、どうもいまのアメリカと北朝鮮にはそういう関係がなさそうだ。

では、冷戦時代の友好関係とはどういうもので、それが現実の政治とどう関係があったのか。米ソの音楽家たちの動きを通して、みてみたい。

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クラシック音楽では、ロシアは大国のひとつだ。作曲家ではムソルグスキー、チャイコフスキー、ラフマニノフ、スクリャービン、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチらを生んだ。

演奏家でも、リヒテル、オイストラフ、ギレリス、ムラヴィンスキーと巨匠がいた。

しかし、第二次世界大戦後のソ連は閉鎖的な、鎖国に近い政策をとっていたので、どんな音楽家がいるのか、西側には分からなかった。

音楽家だけではない。冷戦時代は、米ソの首脳が「会う」だけで大事件だった。

ソ連の最高指導者スターリンが、アメリカ大統領と会ったのは、第二次世界大戦中のテヘラン会議、ヤルタ会談、ポツダム会議だけで、戦後は一度も会わなかったし、アメリカへは一度も行っていない。

 

スターリンが1953年に亡くなると、ソ連はフルシチョフが最高指導者となり、内政外交とも、政策転換をした。国内では、強権的、抑圧的な体制が緩和され、少しではあるが言論の自由ももたらされた。その流れで出版された、エレンブルクの小説「雪どけ」から、この時代を「雪どけの時代」ともいう。外交的にも、アメリカとの緊張緩和へ向かおうとした。

その一方、核兵器開発ではアメリカに遅れをとったソ連は、宇宙ロケットの開発では先行し、1957年、人類初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功し、アメリカは「スプートニク・ショック」に見舞われた。

戦後初の米ソ首脳会談は、1959年だった。ソ連が自信を持ち、余裕があったから実現したとも言える。

フルシチョフがアメリカへ行くというかたちの首脳会談で、ときのアメリカ大統領アイゼンハワーと会い、フルシチョフは国連でも演説し、平和・友好ムードが演出された。

アイゼンハワー米大統領(左)とフルシチョフ首相〔PHOTO〕gettyimages