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ドイツ

日本では報じられない、メルケル首相とコール元首相の「冷たい戦争」

さらば、ドイツ最後の偉大な政治家よ

歴史に名を残す「ヨーロッパ名誉市民」

6月16日、ヘルムート・コール前首相が87歳で亡くなった。東西ドイツの統一を成し遂げた首相として、ドイツの歴史に名を残す人物だ。

EUの統合も、ユーロの導入も、コール氏無くしてはこれほど速やかには進まなかっただろうと言われている。フランスなど旧西側連合国とのわだかまりを取り払うことにも尽力した。それらの功績に対し、1998年、「ヨーロッパ名誉市民」の称号が授けられた。根っからのヨーロッパ統合主義者、そして平和主義者だった。

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コール政権は長かった。1982年から4期16年間。私がドイツに渡ったのがちょうどその年だったので、首相というとコール。若い人たちはコール以外のドイツ首相を見たことがないという時代が続いた(今秋の総選挙でメルケル首相が4期目に突入すれば、氏と肩を並べることになる)。

 

コール氏は1930年、カトリックの家庭で生まれた。第2次世界大戦の終盤、戦況が極度に悪化したドイツでは、子供まで徴用されていた。コール氏も14歳で動員されたが、翌年、戦わずして終戦。一方、兄は戦死している。戦後はギムナジウム(中学・高校に相当)に戻り、16歳でCDU(キリスト教民主同盟)に入党した。政治歴は長い。

66年にはラインランド・プファルツ州の州首相、73年からはCDU党首、82年にはSPD(社民党)から政権を奪取。その後、89年にベルリンの壁が落ち、90年、ドイツ国民悲願の東西ドイツ統一が成った。この日々がコール氏の人生のハイライトであったことは間違いない。

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しかし、まもなく旧東独の惨状が露呈し、国中に欲求不満が蔓延、統一の喜びはあっという間に消え去った。さらに、長年の福祉の行き過ぎが経済を圧迫し、失業者が急増、ドイツは急速に不景気の波にのまれていく。

98年の総選挙でCDUが敗北し、SPDと緑の党の連立政権が成立した頃、ドイツは「ヨーロッパの病人」と呼ばれるほどに落ちぶれていた。とはいえ、コール首相の退陣はそれなりに華やかで、栄誉あるものだった。前述のヨーロッパ名誉市民の称号も、このときに授けられた。

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