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「性別」への違和感から、私は男性器を摘出した

新連載【性別の隙間から見た世界】

男性として生まれたものの自らの「性別」に違和感を覚え、同性愛、性同一性障害など、既存のセクシャルマイノリティへ居場所を求めるも適応には至らず、「男性器摘出」という道を選んだ鈴木信平さん。

私小説的ノンフィクション『男であれず、女になれない』は、小学館ノンフィクション大賞で賛否両論を集めながらも出版に至り、話題を集めています。そんな鈴木さんが、「男であれず、女になれない」性別の隙間から見えた世界について、描いていきます。第一回目は、なぜ鈴木さんが男性器摘出を決断したのか、その理由を明かします。

一方的に「さよなら」を告げる

「性別って、何?」

私の人生の迷いは、この一言から始まっている。

いや、当然のこと世の中にある「性別」の意味が分からないわけではない。

私がこの世にいる以上、少なくとも遺伝子を私へと繋いだ男性と女性が存在する。幸いなことにその2人が私の父親と母親として現存し、今もなお私の両親であるという役割を継続している。

私は、教育環境としては至極真っ当に、正しく性別の何たるかを学べる状況を生きてきたのである。

 

けれども、現在39才。

親になる平均デビュー年齢もとうの昔に過ぎた。姪っ子は5才にして男女を意識し、自分が女であることを曇りなく自覚しているというのに、私の「迷い」は一応の決着をみたとはいえ、相変わらず伴侶として、背後霊として、私に付きまとっている。

2015年3月9日、私は男性器を摘出した。

解決できないことだから、決着を求めたというのが心情。

ホルモン摂取なし、豊胸なし、造膣なし、と決めた。

ただ男性器を摘出し、性に一方的なさよならを告げる。

その事実を中心に私と性との付き合いを書いたのが、初の著作『男であれず、女になれない』(小学館)である。

姪っ子が5才で既に獲得している性への確信を、今でも私は持てていない。

生まれつきなのか?培われたのか?

黒いランドセルを喜んで背負った。スイミングスクールでも学校の水泳の授業でも、何のためらいもなく半裸になった。スカートを履きたいと泣いてねだったこともない。好きな女の子もいた。将来はお父さんになるのだと、疑っていなかった。

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小学生の私の中に、現在の私を支持する原石を見つけ出すことは簡単ではない。ただ付け加えるのなら、2歳年上の兄と比べて明らかに、男の子らしくはなかった。ただ自分の体が男子だったから、何も考えずに男子としての生活を送っていたのかもしれない。

本を書く一連で呼び起こした記憶の中に、20年以上すっかりと忘れていたことがある。小学校の修学旅行での就寝間際。10人程度の男子が布団を並べている部屋でじゃれ合う中、当時の担任が先陣を切って私のパジャマを引っ張り、最後には下着まで脱がした。男子児童には良くある「パンツ脱がし」である。

担任が主導したのだから今の世ならニュース沙汰で即解雇であろう話も、当時は戯れの一つでしかなかった。私も泣きはしなかったし、笑いながらその場を収めたと思う。

思い出してみて、これが今に続く潜在的トラウマかと考えてみたが、その後に真正面から糾弾し、クラスメイトの前で担任に謝罪させたことも思い出し、どうやら心の傷にはしっかり決着をつけていたことを知る。