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週刊現代 歴史

作家・山崎豊子はなぜ「男が惚れてしまう男」を描けたのか

キーワードは「敗戦」にあった

わかりやすいほど「男らしい男

―大澤さんが著した『山崎豊子と<男>たち』では多くのベストセラーを生み出した作家・山崎豊子。本書は、山崎作品に登場する「男らしい男」たちの生き様を分析しつつ、日本人がどのように「戦後」と向き合ってきたのかを考察します。

私は、ほとんどの山崎作品を読んできましたが、学術的な関心があったわけではないのですよ。商社や銀行、航空会社など、自分が経験したことのない世界を知りたくて山崎作品を読んできました。

そして長年、親しむうちに、なぜ彼女の作品には「男が惚れてしまうような男」が次々に登場するのか、興味が湧いてきたんです。多くの作家が魅力的な男を描いてきましたが、山崎豊子ほどわかりやすい「男らしい男」を描けた作家はいない。

この問いを突き詰めるうちに、日本の「敗戦」からくるトラウマの処理の仕方の違いが、彼女と他の作家を隔てる要因だと思い至ったのです。

―山崎作品における「男らしさ」をどう定義しますか。

簡単に言えば、「大義に殉じることができる」ということ。普通の人間であれば、ひとつの大義を目指そうとしても、犠牲を伴うようであればためらってしまう。しかし、男らしい男は、あらゆる犠牲をいとわない。

例えば『沈まぬ太陽』の主人公・恩地元は、勤務先の航空会社の腐敗を正そうとしますが、報復として僻地に飛ばされてしまい、家族と離れ離れになる。家族を犠牲にしても、大義を貫こうとしたわけです。ただ、初期の山崎作品には、ここまでスケールの大きい男は登場しません。

 

―確かに処女作の『暖簾』から『花のれん』『ぼんち』『女系家族』などは、どちらかといえば男より女が目立ちます。

これは想像ですが、山崎は自身が生まれた大阪・船場の商家への思い入れが強く、そこできびきびと働きかつ器用に遊ぶカッコいい男たちを描きたかったんでしょう。

そこで初期の作品では、いずれも明治から昭和にかけての商家を舞台に男たちの活躍を描こうとしますが、後の作品ほど魅力のある男は描けなかった。その原因は、船場という場所にあります。

江戸時代であれば、船場の商人は才覚があれば自らの事業を大きくでき、豪快に遊ぶこともできた。しかし明治維新以降は近代化が進み、戦乱もあったことから商家は没落します。そんな時代の船場では、男が男らしく生きることはできなかった。

敗戦を真正面から取り上げた

―そこで船場から離れた山崎は代表作『白い巨塔』で、ついに「男」を描くことに成功します。

意識して船場から離れようとしたのかはわかりませんが、男らしい男を描きたいと思ううちに、大学病院の教授を目指す財前五郎という野心あふれる男を着想した。さらにその後の『華麗なる一族』では万俵大介という銀行の頭取を描きますが、彼は自行より規模の大きい銀行を吸収しようという野望を抱く。

どちらも、スケールの大きい男たちです。ただ、彼らは男であると同時に「悪」をも体現しています。財前は教授になるため、上司に賄賂を贈り、医療ミスだと患者から訴えられても認めず、最後には勝利する。

一方の万俵は妻妾と同居するという異様な生活を送り、銀行合併のためには、自らの長男が経営する会社を破綻させても構わないと考える。どちらも魅力的ですが、彼らは「悪」の男たちだった。

―その後の『不毛地帯』で、山崎は「男らしい」うえに「善」へと方向づけられた男を描きます。

主人公の商社マン・壹岐正は、日米の自動車会社の提携に奔走したり、石油採掘事業に参入したりと目覚ましい活躍を見せ、出世の階段を駆け上がる。それだけでも十分、男らしいと言えますが、壹岐はさらに「善」の男でもある。なぜ「善」なのか。彼の仕事が、私企業の利益を越え、「国益」にかなうことを目指しているからです。

苦境にあえぐ日本の自動車会社を救うために米国の企業と合併させようとし、油田を開発することで日本の経済と安全を守った。いずれも「公共的な正義」に向けての動きです。