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週刊現代

「結婚差別」は、こうして再生産されてしまう

婚姻忌避を調査した本から分かったこと

なんだかんだで「男尊」が続く社会

友人が「うちの嫁が」「うちの主人が」と言う度に「女は家にいろってか?」「主(あるじ)ってことは隷従している宣言か?」と心中おだやかではなくなるのだが、それらは心中にとどめておく。

いちいち突っ込まないのは、当人達がその言い方をどうやら肯定的に使っているから。「“主人”が稼いで“嫁”が家を守る生活を築けているんです」とのアピールに聞こえるのは、こちらの僻みが含まれているからか。

酒井順子『男尊女子』は、あからさまな女性差別は「消えた」のではなく、目に見えない水面下に「隠れた」のであり、しかも、女性を下に見る心を隠し持っているのは男性だけではなく女性も然り、と指摘する。

「尻尾を振って男の汚れ物を洗濯する」女子マネージャー、おいしいお茶を淹れたいと社内で率先して急須を持ち出す「お茶女子」の心性は、まだまだ残存しているのだ。

男尊女子

男と女は平等であるべし。分かっちゃいるけど、男は「女とはかくあるべし」を残し、女は「男のくせに」を残す。結果、何だかんだで「男尊」が持続する。政権の中枢に食い込む自民党女性議員を「男勝り」との形容で皮肉りがちだが、それって、政界では男が勝っているべき、と認めていることにもなる。

女性誌には「モテ」「愛され」と、男性からの働きかけを待つフレーズが定着する。AVでは相変わらず、男性より弱く未熟な女性ばかりが映し出される。酒井は「『私は受動的です』というアピールこそが、日本男児に対しては最大の能動的行為になるのです」と言う。

 

そのアピールのためのテクニックを突き詰める度に「男尊」が顔を出す。そもそも男性の為政者が寄って集って「やっぱり女性は輝くべき」なんて発言を重ねている現在が、その証左だ。

木村涼子『家庭教育は誰のもの? 家庭教育支援法はなぜ問題か』は、自民党が立法化を画策している「家庭教育支援法」のキナ臭さを丁寧に嗅ぎ取る。家庭という私的空間に国家が介入するこの法案。

国が家庭教育を支援する必要性について「同一の世帯に属する家族の構成員の数が減少したこと、家族が共に過ごす時間が短くなったこと」と記されているが、それって家庭の問題じゃなく産業構造の問題。

家庭教育は誰のもの?

精神主義の教育政策

親子三代で同居すれば減税措置を設けると宣言したり、「3年抱っこし放題」と題して母親が子育てを担う前提の施策を出してみたり、とにもかくにも「母性愛神話」を再燃させたがる。今回の法案について、精神主義的な色合いが濃く、要するに「親はもっとがんばれ」と言わんばかりだ、とまとめる著者の分析が明快。

改憲草案に「家族は、互いに助け合わなければならない」と、家族間の助け合いを強制する文言を盛り込んだ自民党は、水面下に「隠れた」はずの「男尊女子」を、より公的なアプローチで復古させようと試みている。

森友学園が運営する塚本幼稚園が園児に暗唱させていた「教育勅語」を、安倍政権は「教材として用いることまでは否定されることはない」との答弁を閣議決定した。「朕惟フニ」から始まるものの、「夫婦仲良く」とか「父母に孝行」とかって今でも大事じゃん、が理由らしい。呆れてしまう。