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政治政策 防衛・安全保障

地政学の「古典」を読めば、国際関係のいまが一発で分かる

佐藤優の地政学で読む世界史【前編】

ドイツエリートの地図の使い方

地政学の古典として名高い『マッキンダーの地政学』であるが、この中に「地政学(geopolitics)」という言葉は一度も出てこない。原題は邦訳で副題となっている『デモクラシーの理想と現実』だ。

本書の初版が1919年に刊行されたときは、それほど大きな話題にならなかった。しかし、ナチス・ドイツの国家政策に大きな影響を与えたカール・ハウスホーファーが本書を肯定的に紹介したことで、「マッキンダーの地政学」という「常識」ができあがったのである。邦訳の原本は第二次世界大戦中の1942年に刊行された第2版だ。

まず、マッキンダーは地図の重要性について強調する。

〈ここでちょっと話題をかえると、ドイツ人の地図好きは、ずっと昔から有名だった。ことにその戦争地図のやたらに多いことが、しばしば物笑いのたねになった。しかし英米両国人のなかで、過去約一世紀間ドイツの国民教育において地図がはたした役割の重大さに気がついた者が、はたしてどれくらいいるだろうか。

事実、さまざまな種類の地図はドイツ文化の重要不可欠な構成部分であり、あらゆる教育を受けたドイツ人は、いっぱしの地理学者になっていた。が、これにくらべられるような実例は、英国人やアメリカ人のあいだではきわめてまれである〉

ドイツ人だけでなくチェコ人やスイス人も地図好きだ。これらの国の人々は、地図を見るだけで立体的に理解することができる。

 

「海川は人々を近づけ、山は人々を遠ざける」というのは地政学の大原則であるが、ドイツ人は、自らの進出を妨げる山がどこにあるかを考えながら戦略を練る。

〈ドイツ人は地図のなかに、ただ単に条約その他によって決められたありきたりの国境を見るばかりでなく、同時にその不変な地形的要素のなかから、どういうふうに発展の契機を読み取るかという、文字通り方法手段としての地図の読み方を永年訓練されてきた。したがってドイツ人のいう現実的政策は、いつも彼らの頭のなかにある地図とむすびついている〉

ドイツの学術エリートは地図製作に関与してきた。

〈ドイツの高等諸学校と大学における地理学の真剣な授業の態度は、はじめからドイツ文化の発展と切っても切りはなせない関係にあった。ことにイエナの敗戦から約三〇年間におけるアレクサンダー・フォン・フンボルト、ベルクハウス、カール・リッター、そしてシュティーラーという四人の学者の名前は、けっして忘れることができない。彼らこそは、ドイツの地理学の基礎をきずいた組織者であり、しかも四人ともベルリン大学と、それらゴータの「ペルテス」という有名な地図会社に所属していた〉。

このように時代を経ても変化することが少ない地理を政治において重視することが地政学の要諦なのである。

島国人vs.大陸人

さらに近現代の交通と通信の発達によって、アジア、ヨーロッパ、中東、アフリカの旧世界は結合するようになった。

〈いまや旧世界は一つの島になった。また、別ないいかたをすれば、それは、この地上で他との比較を絶した最大の地理的な単位であるといってもいい。

若いアメリカの歴史と古い英国の歴史とのあいだには、実はおどろくべき類似点がある。どちらの国も同じように、植民地的、大陸的また島国的な段階を経てきた。

英国の東部および南部の海岸におけるアングロ=サクソンの植民地は、しばしば北アメリカの東海岸における一三の英国人の植民地の先例として引き合いに出される。が、とかく忘れられがちなのは、じつは英国の歴史にもリンカーン時代のアメリカに相当する段階があった、という事実である。