「必ず同窓会に遅れてくる人」

【執筆者】戸塚隆将

学生時代の懐かしい顔ぶれが久しぶりにそろう同窓会。間違いなく顔を出せるよう前もってスケジュールを調整して当日を楽しみに待つ、という経験は誰しもあるのではないでしょうか。ところが皆が勢ぞろいしているにもかかわらず、必ずといっていいほど遅れてくる人がいます。

やっと来たかと思えば、「仕事が忙しくて」「出がけに上司に呼ばれちゃって」と得意げに語り出す。遅れてきたことを詫びるどころか、自分の遅刻や残業を肯定し、それを誇示するふしさえあります。社内やクライアントの信頼が厚い自分を誇示したいのか。はたまた忙しく働くビジネスパーソンを演じ、そんな自分にねぎらいの言葉をかけてほしいのか。これらの理由がないまぜとなった行動なのかもしれません。

政府の音頭取りで働き方改革が始まりました。会社によって濃淡はあるでしょうが、残業を減らし、長時間労働をなくす取り組みも本格的におこなわれています。ところが自分にそんなものは関係ないとばかりに夜中までオフィスに居残り、「ノー残業デー」に仕事を持ち帰る。じつはそんな人と、同窓会に遅刻してくる人には共通点があるのです。

なぜ、私は知ったようにこんなことを語るのでしょうか。じつは20代の頃の私自身がそうだったのです。遅刻や残業を肯定していたビジネスパーソンそのものでした。

新卒でゴールドマン・サックスに入社した私は、毎日夜中まで仕事をするのがあたりまえでした。ヘトヘトでしたが、仕事に明け暮れる自分に満足感を得ていましたし、そんな自分を周りに見せたい気持ちすらあったと思います。たった一人で完結する仕事をしているのならそれでもいいでしょう。しかし現実はそうはいきません。

他人の力を借りずに生きている人は誰もいませんし、仕事というものは自分一人では完結しないものです。同僚や先輩、上司やクライアントなど、多くの人の協力があってこそ仕事は成り立っているはずです。

であるがゆえに、他人の時間を奪ったり予定を狂わせたりする人は「有害人物」であるとさえ言えます。皆が時間をやりくりして集まったにもかかわらず、自分だけ残業を免罪符がわりにして遅刻する。仲間の時間を無駄にし、遅れたことを詫びもせず、長時間労働をするさまを自慢げに語る。そんな人は仕事ができる人どころか、同窓会の雰囲気まで壊してしまう「その場にいてほしくない人No.1」に成り下がってしまっています。

オフィスで夜中まで残業をする人、ノー残業デーに仕事を持ち帰る人も、同窓会でひんしゅくを買う彼・彼女と同類です。過度の残業やノー残業デーの仕事の持ち帰りは、「働き方改革」をめざして準備されたせっかくの制度を真っ向から否定し、傷をつけるものです。さらに同僚や部下に残業や仕事の持ち帰りを強要するなら、その有害度はいっそう高くなります。

そんな「有害人物」そのものだった20代の私ですが、ある日を境に考えが変わりました。私と席の近かった上司の姿を見て、ハッとしたのです。

その上司は長時間労働が常態化した職場にいながら、いつも誰よりも早く仕事を終わらせ、さっそうと帰る人でした。「すごいな、この時間帯に帰れる人もいるんだな」と驚きました。「どうしたら毎日仕事をきちんと仕上げてサッと帰れるのだろう」。そう思った私は上司の仕事のしかたを観察するようになりました。

上司の仕事スタイルはこうでした。仕事が終わると、まず机の上に散らばった資料をプロジェクトごとに整理し、ファイルにとじます。帰りぎわに翌日のToDoリストを作成します。リストを作成し、翌日すぐにとりかかる仕事の書類を机に置くと、おもむろに立ち上がり、ジャケットを着て堂々とオフィスを後にします。

皆に気兼ねしてこそこそとオフィスを出るようなことはしません。翌朝にはすっきりとした表情で出社し、朝一から猛烈な集中力を発揮して次々に仕事を片づけていくのです。

自分はというと、毎日夜中まで残業をしていますから、つねに疲労困憊の状態です。仕事を終えると机の上を散らかして帰宅。翌朝は眠い目をこすりながら、始業時刻ぎりぎりに出社します。席に着きPCが起動するまでのあいだ、出勤途中に買ったパンをかじり、コーヒーをすする。そして「忙しくてしかたがない」というふうに仕事にとりかかります。

しかし机の上は昨夜のままです。書類の山から必要な資料を探し出すのが最初の仕事となっていたのでした。

これでは成果に差がつくはずです。上司の姿を見て、自分も変わらなければとようやく思い始めました。