Photo by iStock
ライフ 鉄道 日本

20年以上前の館山駅で撮影された写真に映りこんでいたものとは?

過去の自分との思わぬ再会

ある日、一枚の写真が届いた

A4のコピー用紙にカラー・プリントしてある。ごくカジュアルなプリントだ。しかしデジタルの写真ではなく、もとはカラーのリヴァーサル・フィルムで撮った写真なのだということは、見たとたんにわかる。なぜそんなことが、見たとたんに、わかるのか。なにを根拠にして、僕はそんなことを言うのか。自らにそんなことを問いながら、僕はなおもそのプリントのなかの、日本の景色を眺める。

写真家の佐藤秀明さんが送ってくれたプリントだ。彼からこのようなプリントが予告なしに届くとき、そのプリントのなかの景色は、二十年、三十年前のものであることが多い。届いたプリントを眺めながら、これはいつ頃だろうか、と僕は思う。

A4の横画面だ。どこかのJRの、プラットフォームの景色だ。私鉄ではないということも、見たとたんにわかる。画面の奥に跨線橋があり、上りと下りの線路を跨いでいる。跨線橋の手前には、左右ともに、係員詰所のような、あるいは物置のような、小さな建物がある。とりあえずここに仮設した、という雰囲気だ。

写真・佐藤秀明氏

画面の右側には、駅のスペースの外に広がる林が、黒い影となっている。画面の左側は、プラットフォームに沿って目かくしのような壁がつらなり、その薄い壁の上から、興亜火災の赤い文字が建物の頂上にある様子が見えている。こちら側が駅前の繁華街なのだ。そしてそれは駅の東側であることが、わかる以前に直感で察知される。

画面の右上の端っこに月がある。三日月だ。この三日月は西の空にあり、画面の正面が南なのだと、僕は方位を確定する。この月だけを基準にして、この写真が撮られた日時が、そして年が、特定出来るのではないか。その年は、いったい、いつなのか。二十年以上は前だろうか。

 

少なくともそのくらいは経っている。駅とその建造物の作りと雰囲気が、いまとはまるで異なっている。いまだとこうはいかない。二十年以上前、と仮にきめた景色のなかの建造物は、まあこんなものでいいだろう、というのどかと言うならそうも言える素朴さに、貫かれている。素朴な間に合わせ感は、明らかにいまの時代のものではない。