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政治政策

沖縄戦「最大の犠牲者」への訴えを、裁判長はわずか10秒で退けた

この国の司法は、彼らを見捨てるのか

戦争は天災ではない

今から72年前の6月23日、日米両軍が激突した沖縄戦で、組織的戦闘が終わった。沖縄は米軍に占領された。この沖縄戦は歴史の教科書に書かれ、広く知られている。だがいまだにその地上戦の後遺症に苦しみながら、国と闘っている人たちがいることは、あまり知られていないだろう。今回は沖縄戦国賠訴訟について報告したい。

第二次世界大戦末期の1945年3月26日、米軍は沖縄・慶良間諸島に、ついで4月1日に沖縄本島に上陸した。兵力で圧倒的に優位な米軍は、空襲や艦砲射撃を間断なくあびせた。それは後に「鉄の暴風」と評されるほど激しかった。

日本軍は本土防衛の時間稼ぎをすべく持久戦を展開したが、多くの一般住民が巻き込まれた。戦死者は一般住民約9万4000人、旧日本軍9万4136人、米軍1万2520人、計約20万人が犠牲になったとされる。ただ沖縄県民の死者については、当時の人口の4分の1に当たる15万人とする推計もあり、正確な数字は不明だ。

 

よく知られているように、県民は日本軍からも危害を受けた。貴重な食料を奪われたり、避難していた地下壕を追い出されたりすることもあった。家族などが集団で自殺に追い込まれることもあった。

戦争は人為的な天災ではない。為政者たちの誤った判断や不作為によって起きる人災である。まして大日本帝国時代の日本では、国民は為政者を選ぶことができなかった。

日中戦争を泥沼化させ、破滅的な対米戦争へのレールを敷いた近衛文麿首相と、勝てるはずのない戦争に突き進み、国民を自国の底に引きずり込んだ東条英機首相が、いずれも国民に選ばれた議員ではなかったことが象徴的だ。最大の戦争責任は為政者、大日本帝国政府にあった。

「みんなひどい目にあったから」が理由?

大日本帝国の後継である日本国政府は本来、戦争で被害を受けた国民たちに応分の補償をしなければならない。

政府はサンフランシスコ講和条約が発効し独立を回復した1952年、まず「戦傷病者戦没者遺族等援護法」(援護法)という法律を作った。さらに翌年、占領中はGHQによって停止させられていた軍人恩給(旧軍人と旧軍属、遺族に支給される恩給)を復活させた。こうした補償の総額は2016年現在累計60兆円に及ぶ。

ところが、国は同じように戦争で被害を受けた民間人は補償の対象外とした。国の言い分は「旧軍人軍属らは、国と雇用・被雇用の関係にあったが、民間人とはなかった」というものだ。

60兆円対ゼロ円。民間人の被害者たちが「差別だ」と憤るのは当然だ。このため空襲被害者や敗戦によって海外での財産を失った人、ソ連(当時)によってシベリアなどに抑留された人たちが、国を相手に損害賠償請求をする訴訟を相次いで起こした。

ところが、ことごとく原告敗訴。裁判所は「民間人には国が補償しなくても違憲、違法ではない」という趣旨の判決を下し続けた。その論拠は、昨年6月25日公開の本欄(現代ビジネス)拙稿の「『旧軍人・軍属には50兆円』『民間人にはゼロ』戦後補償の差を示す、あまりに残酷な数字 戦争受忍論をご存じですか?」で紹介したように、「戦争被害受忍論」だった。詳細は前掲記事に譲るが、要するに「戦争でみんなひどい目に遭った。だからみんなで我慢しなければならない」という法理論である。

裁判官は、難関大学を出た人が、超難関な試験に合格してなる職業だ。さぞ頭のいい人が判決文を書いているのだろうが、こと「戦争被害受忍論」に関する限り、およそまともな理屈とは思えない。