叱られる勇気=愛される資格

最後のコツは、一度叱責されたら、もう一度その人のところに叱られに行く、ということだ。

「叱られる勇気」を持つ、ということだが、これは最近はやりの「嫌われる勇気」とはちょっと違う。「嫌われる勇気」とは、一言で言えば、他人からの承認を得るために自分を抑える、ということを否定する勇気のことだが、「叱られる勇気」とはむしろ相手からの承認を得るためのものだからだ。

何かで叱責を受けたとき、特にそれが他人の面前であったりすると、なかなか受け入れがたく感じるものだろう。そのとき、叱責の内容を冷静にきちんと分析することは難しい。

叱責する側も、よほど出来た人間で、前もって内容を考えておいたならともかく、その場でなんらかダメ出しをしなければならないときに、巧みに叱るのは非常に難しい。「ああ言えばよかった、こう言えばよかった」と実は上司たちもあとから悩んでいるのが普通なのだ。

だから、少し時間を空けて、たとえば翌日、「昨日はありがとうございました。ただ、あのときは恐縮していて言われたことが全部頭に入ってなかったかもしれません。お時間とらせてすみませんが、もう一度要点だけ教えていただけませんか」

変な言い方かもしれないが、これで上司は落ちる。もしこう言って「うるさい、時間がないんだから、そんなもんお前が考えろ」と拒否されたなら、その上司とは今後どうやってもうまくいかないだろう。その場合でも、上司との今後の関係性がわかるという利点だけはある。

しかし、大抵は向うも昨日よりは冷静的確にポイントを押さえて説明してくれるだろう。相手が何を求めているのか、自分に何が足りないのかがわかる。ときには、より具体的にどうすればよいのかのアドバイスもくれるかもしれない。

さらに、その上司との関係は確実に良くなる。人は誰しも自分の言葉に熱心に耳を傾けようとする人間を嫌いはしないものだ。同じ仕事をするにしても、円満な人間関係がベースにあるかどうかで、能率も仕上がりも、そして何より「心」の健康さが変わる。

一度叱られたのに、わざわざもう一度叱られに行くのは、「心」に不要な負荷をかけることのように思えるかもしれないが、結果的にはそれによってゴム毬のような心は弾むことになるのだ。

叱られ上手になって、「心」を折るのでなく弾ませるような生き方ができますように。