Photo by iStock
哲学

インターネットが生んだ「扇動」に乗りやすい社会の末路

たそがれる国家(8)

二重のタコツボ化

パソコンやインターネットが普及しはじめた頃、世の中ではバラ色の未来が語られたものだった。

どこで暮らし、仕事をしていても世界中の情報がとれ、世界中に発信することができるようになる。ペーパーレスの社会が生まれる。ITが世界を変えていく……。

その中のある部分は実現され、またある部分はそうはならなかった。ペーパーレスどころか、プリントされる紙の枚数が増えたことは誰もが実感していることだろう。

他方でメールの普及は連絡を容易にしたことは確かだったし、情報検索や発信も私たちの社会に定着した。

だがそれらは、手放しで肯定できるものではなかった。

ワープロ機能は漢字を読めても書けない人をふやしたし、簡単に送信できるために安易なメールがふえ、いまではメールの整理に大きく時間をとられるようになってしまった。何かの進歩は何かを後退させ、便利さは新しい不便ももたらすのである。

発信も期待通りにはならなかった。発信される量が多すぎるのである。これでは誰にも読んでもらえない発信が生まれてしまう。読んでもらうために偽情報を流す人も現れ、発信された情報の信頼性がなくなってしまった。

読む方もまた自分の考え方に合うものだけを探し、結果としては二重の蛸壺化がすすむようになる。ひとつは自分を肯定してくれるものだけを読むという意味で、もうひとつは「ライン」に象徴されるように、自分たちの内輪の会話に沈没していくという意味で。

といっても、もっとも大きな影響を与えたのは、検索が容易になったことではないかと思う。

実際私たちは何かわからないことがあると、たえず検索するようになった。ところが検索したものをよく覚えているわけではない。なぜなら忘れてしまってもまた検索すればすむからである。

検索的思考時代の支持獲得方法

そして、そうしているうちに、頭の動きが検索型になってしまった。

連想して考えることが苦手になり、ただちに答えをみつけようとする。しかもその答えもまた忘れてしまうから、そのときの関心に沿った回答を検索で求め、それを繰り返す。

この変化は扇動政治家や、権力を維持しようとする政治家たちにとっては、有効な基盤を提供することになった。

 

ひとつのことを持続的に考えることが苦手になった人たちが、大量に生まれているのである。それなら、たえずそのときどきのテーマを扇動し、その時点での都合のよい「回答」を提供すればよい。

その「回答」は時間が過ぎれば誤りだったということにもなる。だがそのときには別のテーマで扇動し、その「回答」を提供すればよいのである。大事なことは、つねに、「頑張っている」という姿をみせることだ。

しかし、いったい何に対して「頑張っている」のか。それは、そのときどきの扇動テーマでしかない。

もっともわかりやすいのは、現在のトランプ政権であろう。自分の支持者に対して重要なことは、トランプ大統領が「頑張っている」という姿をみせることだ。

「壁をつくるぞ」「テロリストを入国させないぞ」「国際協定は破棄するぞ」「シリアでは悪と戦っているぞ」「北朝鮮問題でも頑張っているぞ」……。

ただしあまりにも三文役者的な「頑張っている」姿ゆえに、世界の嘲笑の的にもなっているのだが。

だがそれは、トランプ政権だけが例外なわけではない。日本の現政権もそうだ。

経済で頑張り、中国問題で頑張り、韓国問題でも、北朝鮮問題でも頑張る。さらには「働き方改革」とか、「一億総活躍」とか、最近ではどうやっても整合性がとれない憲法9条に自衛隊合憲を書き込むとか、なぜ憲法に書かなければいけないのかさっぱりわからない教育の無償化を入れて憲法改定をするだとか……。

要するに重要なことは、たえず扇動し、たえず「頑張っている」姿をみせることなのである

それが検索的思考の時代の支持の獲得方法になった。