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週刊現代

佐藤優が説く「孔子の言葉はなぜ日本人の心に刺さるのか」

仲間、仕事、大切なことはすべて…

行動が伴わなければ意味がない

孔子(紀元前552~前479年)の言葉を集めた『論語』は、日本社会に強く影響を与えてきた。われわれはあまり自覚していないが、『論語』に代表される儒教が、日本人の物の見方、考え方の根底にある。

1970年代までは高校の漢文の授業で『論語』は丁寧に教えられていた。しかし、学習指導要領が改訂され、高校での古文・漢文の授業が減少した1980年代以降に高校教育を受けた世代には、漢文で『論語』を読むことに苦手意識を持つ人も多い。

そこで役立つのが、齋藤孝氏が見事な現代日本語に訳した本書だ。冒頭の「子曰、學而時習之、……」を齋藤氏はこう訳す。

〈先生がいわれた(以下、先生は孔子のこと)。

「学び続け、つねに復習する。そうすれば知識が身につき、いつでも活用できる。実にうれしいことではないか。友人が遠くから自分を思い出して訪ねてきてくれる。実に楽しいことではないか。世の中の人が自分のことをわかってくれず評価してくれなくても、怒ったりうらんだりしない。それでこそ君子ではないか」〉

世間が自分を理解してくれないときに、友人が訪ねてくれて励ましてくれたという経験は評者にもある。

2002年5月14日、鈴木宗男事件に連座して東京地方検察庁特別捜査部に逮捕されたとき、同志社大学神学部時代の友だちだった滝田敏幸君(現千葉県議会議員、自民党)が、その日の晩の内に「佐藤優支援会」を立ち上げてくれた。

孔子がここで言う友人は、飲み仲間や遊び仲間でなく、勉強仲間のことだ。滝田君とは、学生時代、神学や哲学の勉強に熱中した。それだから、評者と滝田君はお互いをいちばん深いところで理解している。獄中で弁護士から「滝田君が支援会を作ってくれた」という話を聞いたとき、評者は『論語』のこの言葉を思い出した。

巧言令色という言葉は、今でも時々目にするが、出典は『論語』だ。

〈先生がいわれた。

「口ばかりうまく外見を飾る者には、ほとんど仁はないものだ」〉

たしかにその通りと思う。ただし、この言葉を多用するのは大抵、悪党だ。東京地検特捜部に逮捕された閣僚経験者(鈴木宗男氏ではない)は、取り調べで毎回、「おまえは巧言令色なんだよ」となじられたので、この言葉がすっかり嫌いになってしまったという。

もっとも、証拠のフロッピーディスクを改竄したり、捜査報告書に虚偽の内容を書く検察官がいるような特捜検察の文化が巧言令色であると評者には思えてならない。

孔子は実践を重視する。

〈先生がいわれた。

「正しく理の通った言葉には従わずにはいられない。しかし、ただ従うのではだめだ。自分を改めるのが大切なのだ。やわらかく導いてくれる言葉は心地よいから、つい喜ぶ。しかし、喜ぶだけではだめで、真意を求めることが大切だ。ただ喜んでいるだけで真意を追求しなかったり、ただ従うだけで自分を改めないような人は、私にはどうしようもない」〉

孔子にとって、真理は具体的なのである。ただ理屈だけで理解していても、行動が伴わないことに意味を認めない。ビジネスにおいて参考になる言葉だ。