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週刊現代

日本は「近代国家の道」を経て何をなくし、何を得たのか

この終焉をめぐる3冊を紹介

ふたりの識者による別々の見方

ゴールデンウィークに突入する頃、テレビでは盛んに「北朝鮮情勢が緊迫している」と報じられていた。

しかし、そんなにも「緊迫した状況」ならば、自民党の重鎮が一堂に会する盛大な政治資金パーティーが都内のホテルで開かれることもないだろうし、そこに総理が駆けつけて祝辞を述べることも、お友達とゴルフに興じ、スポーツジムで汗を流すこともないだろう。世界に眼を転じても、トランプの暴走やフランスの大統領選など、何かと騒がしい5月だった。

そんな中で手に取ったのは、三谷太一郎『日本の近代とは何であったか―問題史的考察』。本書には四つの問いが立てられている。「なぜ政党政治が形成されたのか」、「なぜ資本主義が形成されたのか」、「なぜ日本は植民地帝国となったのか」、「天皇制とは何であったのか」。

日本の近代とは何であったか

政治史家の泰斗である著者は分析、解明に留まらず、西洋を手本にした「近代」を日本が求めたために、生じたひずみや問題点をも、そっと読者に差し出している。

富国を求め続ける中で起こった原発事故、植民地支配の結果である近隣諸国との改善されぬ摩擦、キリスト教に代わる精神的枠組みとして作られた天皇制における当事者の、悲痛な叫びとして持ち上がった今回の退位問題。

 

1936年生まれの著者は、現在、80歳。近代社会が理念として掲げていたはずの「議論による統治」という原則が崩れ、世界は無秩序となり、視野の狭い保護主義と一国主義に傾きつつあると説く。老齢の著者がこの数年、一般読者に向けて旺盛に執筆を続けているのは、歴史家として現状を看過できないとの、思いに駆られるからであろう。

本書を読み終え日本の近代を別の視点から考えた先人として柳田国男のことを思った。2014年に刊行された柄谷行人編、柳田国男『「小さきもの」の思想』は、何よりも編者の筆による解題が優れている。

「小さきもの」の思想

「柳田国男の仕事は、一言でいえば、近代の発展の中で急速に廃れ忘れられていくものを記録することであった。それは先ず、消滅してしまうものへの供養であり、且つ、そこから得た将来に役立つかもしれない知恵を保存することである」

踏み外した近代の日本

柳田国男の代表的な論考が収められているが、章ごとの的確な「解題」により柳田の思想の変遷や人生の軌跡も同時に知ることができ、評伝としての側面も併せ持つ。

近代化の中で生まれた国家神道、軍国主義、近隣諸国への植民地化政策、それらを柳田は本来の日本の姿ではないと批判的に見ていた。だからこそ、敗戦後に『先祖の話』を発表したのだと、柄谷は説く。

「柳田が望んだのは、日本人が敗戦後の社会を『死者とともに』再建することであった。これはたんに、死者を祀るという意味ではない。二度と戦死者を生み出さないような社会を作るという意味である。しかし、戦後の日本はまもなく戦死者を忘却する方向に進んだのである」

本号が発売される頃には、人間最強の中国人囲碁棋士・柯潔九段と、グーグルが開発した世界最強のAI「アルファ碁」の対局結果が話題になっているだろうか。

ほんの数年前まで「複雑な思考を必要とする囲碁だけはコンピューターが人間を超えることは当分ない」というのが専門家たちの共通した認識であったのだが、そういった考えはすべて覆されてしまった。