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なぜ日本人は大地震や戦争のリスクがあっても決して逃げないのか

都市と消費社会の拘束力
貞包 英之 プロフィール

大都市の拘束力の功罪

それと同じく、しかしより強固になった日常のシステムのなかを、私たちは生きている。

4月のミサイル危機のなかでも、学校や企業が休みとなったことは寡聞にして聞かない。多くの学校や会社は「戦後最大の危機」のなかでも通常業務を続けたのであり、だからこそほとんどの人は容易には大都市を離れられなかった。

マクロにみれば、ここに大都市の拘束力の働きの一端をみることができる。

以前にも確認した(参照「日本人が「移動」しなくなっているのはナゼ?」)が、現在、大都市に人びとを押しとどめる社会的な力が働いている。端的にそれは、大都市内の人口の集積によって確認される。

たしかに少子高齢化の影響もあり、日本全体では県を超える長距離の移動は減少し、東京でも高度成長期以降は転入人口が少なくなっている。けれどもそれ以上に転出人口は減少しているのであり、90年代末にはついに転入人口を継続的に下回り始めた(図1)。

結果として、2000年代以降には、東京都の人口堆積が進み、沖縄と並び、1、2位の人口増加率を記録している。

こうして東京はかつて程、人びとを引き付けていない代わりに、人口を外に送り出す力も失った一種の蟻地獄の様相を呈している。

他の地域と較べても、東京出身の人が東京で暮らす割合は高く、たとえば最低の四国では75.8%の人しか出生ブロックに留まっていないのに対し、東京圏には90.4%の人が現在時点で暮らしている(第7回人口移動調査、2011年、ただし震災の影響を被った東北地域は除く)。

いうなれば東京で生まれた多くの人は、東京で死ぬことをかなりの力で運命づけられているのである。

大都市のこうした拘束力はもちろん問題とばかりはいえない。人口の集中は競争や交流によって経済発展を導くと一般的には主張されている。また大都市には多くの文化・商業施設、メディアが集まり、それが魅力的な消費の環境をつくりだしてもいる。

ただし集中は同時に問題もはらむ。地価の上昇や交通の混雑に加え、災害が起った場合の被害も大きくなり、さらには今回のように「戦時下」における攻撃やテロも促すからである。

こうした危険を勘案しながら、しかし多くの人びとは大都市に留まり続けている。そこでの暮らしが魅力的だからだけではない。そこでくり広げられる激しい競争に取り残されないためにも、私たちは大都市を容易に離れることができないのではないか。

結局、私たちは刺激的かつ快適な暮らしを最大限享受する代わりに、大都市に留まり、ともに生き死ぬという運命を受け入れているといえるだろう。

たしかに多くの人は、どうせ何も起きないとたかをくくっていただけかもしれない。しかしその深層には、大都市が与えてくれるささやかな「ゆたかさ」の代償に、それが滅亡したら仕方がないとする諦念も隠されていたのである。