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週刊現代 歴史

話題の書『イノベーターたちの日本史』の読みどころ

幕末の志士たちの本当の功績とは?

従来の史実では描かれてこなかった「幕末の志士」たちの功績を米倉誠一郎氏がまとめた『イノベーターたちの日本史―近代日本の創造的対応』が話題だ。創造性の富むかつての日本人の魅力をざっくばらんに語ってもらった。

アヘン戦争が価値観を変えた

―著書では、高島秋帆、大隈重信、笠井順八など、幕末から昭和にかけて活躍した偉人たちの足跡を辿りつつ、近代日本がいかに成立したのかを描き出しています。

近年、「日本人はクリエイティブではない」とか、「結局、欧米の物まね」という意見をよく聞きます。しかし、歴史を振り返ってみると、幕末以降の日本には、危機的状況に置かれても創造的に対応できる「イノベーター」が数多くいた。

僕は一橋大学でイノベーションの研究に携わってきましたが、退官するにあたり、ダイナミックで創造性に富んだかつての日本人の姿を描いておきたいと考えたんです。

―日本が近代化に向け「覚醒」したきっかけは、アヘン戦争(1840~1842年)でした。

多くの中毒患者を生むアヘンの輸入を禁じるという、ごく正当な措置を取った中国に対し、イギリスは鎖国政策の放棄を迫って宣戦布告。香港を割譲させたほか、広東、厦門など5ヵ所を開港させました。

中国と同じく鎖国政策を取っていた徳川幕府も危機感を抱き、中国のみならず、交易していたオランダや朝鮮半島からも情報を集め、どう対応するかを研究した。当時の日本人は「情報感受性」が高かったのです。

―そうした危機感を抱く幕末知識人のひとりに、高島秋帆がいました。

高島秋帆は外国の最新式大砲を自ら輸入し、それをリバースエンジニアリング(分解模造)して独自の大砲を作り出した創造的な人物です。また、私的に貿易を行うなど、アントルプルヌア(企業家)の一面もあった。

そんな秋帆は、1853年にペリーが来航し、日本に開港を迫った折、幕閣の多くが「夷狄討つべし」といきり立つ中で、「武力を交えず開国すべきだ」と幕府に上申します。西欧の知識を学んでいた秋帆は、武力で日本に勝ち目はなく、通商しか生き延びる道はないとわかっていたのです。

 

「知識の商業化」が始まった

―明治政府を扱った章では、大隈重信を例に、「官僚」が誕生する過程が描かれます。

維新ではさしたる実績のなかった大隈ですが、長崎に派遣され、キリシタン弾圧に抗議する欧米諸国と折衝するうちに、国際感覚を身につけ、「一国を代表する官僚」に成長します。

さらに大隈は、外国人商人が日本の貨幣や国家財政に対して不信感を抱いていることを知り、財政構造を立てなおさない限り、国の信用は確立できないと悟った。幕末の志士は短期間のうちに外務・大蔵官僚へと変身したのです。

―国家財政への危機感から、明治政府は大胆な改革に着手します。

大きな財政負担となっていたのは、幕藩体制下で士族に支給されていた「俸禄」でした。一方的に廃止すれば反乱を招く恐れがある。そこで明治政府は、数年分の俸禄を合算し、その総額に年7%の利子をつけた公債を士族に支給して、身分を有償撤廃しました。

同時に、旧士族が自ら起業したり、農工商の道に就けるよう「士族授産」政策も実施。どちらも相互補完的でイノベーティブな政策です。