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「脳が壊れた夫妻」の命の恩人は、意外な人物だった

されど愛しきお妻様【11】

ルポライターの鈴木大介さんと、「大人の発達障害さん」のお妻様の、ノンストップな18年間を追う本連載。脳梗塞で倒れ、高次脳障害は残ったものの、身体のマヒは軽度で50日ほどで退院できることになった鈴木さん。退院後の生活をサポートしてくれたのは、「意外な人物」だった!…って誰?

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ノー目覚ましノー文句

我が家の家事は、お妻様が本音ではあんまり必要ないと考えているもの。その家事を僕が一方的に必要だと主張しているのならば、それは僕が「お願いして、お手伝いしていただく。やっていただく」という立場にある。

もちろんこの考えが、すんなり僕の中に浸透したわけではなかった。「家事はやって当たり前」という僕に染み付いた価値観が払拭できない内は、どうにも理不尽さを伴って感じられていたと思う。

脳梗塞後、身体のマヒは軽度だった僕は50日ほどで退院することになったが、家庭に復帰するにあたってくだんの言語聴覚士からは、もう一つアドバイスをもらった。

「夫婦でお互いに一つだけ譲れないことを主張し、交換する」

さあ、なんだろう。よくよく考えて、僕から先に口にした。

「僕が一番譲れないことは、朝に茶の間の床と机の上に何もない状態にしておいてほしいってこと。せっかく買ったルンバがスイッチ入れただけで掃除が始められるようにしてほしい」

そう、それはお妻様が僕の家に家出してきてから17年間にわたって続いた、朝起きたら床に落ちているお妻様のものを拾って回るというストレスフルな日課にはもう耐えられません、という主張だった。対するお妻様は、

「だったらあたしは、寝る時間と起きる時間について何も指摘しないでほしい。ノー目覚ましノー文句」

 

わー、そこ突いてきましたか。「それは、そこまで大事なことなの?」という疑問符がお互いの頭の上に表示されたような気もするが、それまでの長い夫婦生活を考えれば、お妻様が寝る前に茶の間を片づけることも、お妻様の宵っ張りに僕が小言を言わないのも、相当にハードルの高いこと。決して不平等条約ではない。

もちろん心の奥底には「そうはいっても午前中に起きてくれなければ結局洗濯は俺がやることに……」みたいなわだかまりの根っこはしつこく残ったが、そんな不平は、入院から退院を経て日々膨れ上がるお妻様への感謝の気持ちによって、封じ込められていった。

何しろ脳梗塞によって高次脳機能障害になった僕は、自力でできないことが圧倒的に増えてしまった。情緒の抑制が効かず、ことあるごとに気持ちがいっぱいいっぱいになって子どもみたいに号泣したり、パニックを起こして息も絶え絶えの悶絶状態になってしまう。

そんな僕をお妻様は無条件に支えてくれるのだった。僕自身、自分でも何がどうして辛いのか理解も出来ず言葉にもできない状態なのに、お妻様は大前提として「辛いのだ」ということを認めたうえで、ただただ黙って僕の手を取ってさすり、背中を撫でてくれるのだ。

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不思議なことに、なにをしても楽にならない原因不明のパニックや不安の波は、こうして「辛いよね、辛いよね」と背中を撫でてもらうことで、ずいぶんと楽になった。

お妻様によれば、自らがメンタルを病んでパニックを抱えていた時に「そうして欲しかった」「そうしてもらったら楽になった」と言うが、メンヘラでリストカッターだったかつてのお妻様に、率先してそんなことをしてあげた記憶はない。有難さに涙しながら、かつての僕自身の不甲斐なさを呪った。

お妻様が同じような苦しさを抱えて、本当ならそばにいて背中を撫でてほしかっただけの時期に、僕はそうしてやらず、小言や叱責を投げかけてきたのではなかったか。そんな僕に対して、なぜお妻様はこうも淡々と支えてくれるのだろう。ただただ、ありがたい。

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