W杯の日韓開催を勝ち取った岡野氏(左)〔PHOTO〕gettyimages
サッカー スポーツプレミア

もうひとりの“日本サッカーの父”は、「伝え方」の達人だった

故・岡野俊一郎さんが伝えたもの

日本スポーツ界の功労者

今年2月に亡くなった日本サッカー協会第9代会長、岡野俊一郎さんを偲ぶ会が都内で開かれ、川淵三郎最高顧問、田嶋幸三会長、フィリップ・トルシエ元日本代表監督ら870人ほどの関係者が出席した。

日本サッカーの近代化は岡野さん抜きには語れない。

岡野さんは東大卒のインテリで、日本ユース代表監督を経て1964年の東京五輪に向けて招聘したデットマール・クラマー氏の通訳兼日本代表アシスタントコーチを務め、代表チームの強化に勤しんだ。その後、JSL(日本サッカーリーグ)の創設などクラマー氏の提言を実行に移し、グラウンドではコーチとして68年メキシコ五輪銅メダルに貢献。後に日本代表監督も務めている。

現場を離れてからは要職を歴任し、1998年長野五輪の招致や2002年日韓W杯の成功、さらにはJOC(日本オリンピック委員会)の独立などサッカーのみならず日本スポーツ界の発展に大きく寄与した功労者である。

岡野さんにインタビューをしたのが、15年12月のこと。その年の9月、90歳で他界したクラマーさんの思い出話を聞いた。岡野さんは言った。

「デットマールが来るまでの日本サッカーは地域別、各大学別のコーチ術でしかなかったんです。彼によって世界に通用するコーチ学がもたらされました。『正確なパスを送るには、ボールが当たる部分を固定しなさい』『ボールを止めるときは、ボールスピードを落とすために当たる部分を軽く引きなさい』……インステップキックはどう蹴る、インサイドキックはどう蹴るなど、今、育成で教えているのはすべてデットマールから学んだことです。

基本動作、応用動作、実戦とあって、彼は『一番重要なのは試合。そのために実戦練習は必要であり、それをやるには基本ができていないところがあるから、基本をやろう』と。(基本、応用、実戦を)混ぜながらやっていくわけです。個人に応じたトレーニングも設定する。そういうところもデットマールがもたらしたものです」

クラマーの教えに、岡野さん自身も感銘を受けたという。基本、応用、実戦。それが後に岡野さんたちの手によって、日本サッカーのガイドラインとなっていった。

「指導者もだいぶ若くなって、(元にある教えが)デットマールからきているなんてみなさん知らないかもしれませんけどね」

そう言って苦笑いを浮かべた後、「基本」について話が及んだ。

「基本というのはね、新しいも古いもないんですよ。じゃあゴルフでたとえましょうか。ティーショットを打つドライバーは、サッカーで言うとインステップキックですよね。アイアンはインフロントキック、パターはインサイドキック。

シャフトが柔らかくなったり道具が進化しても、打つ人の体力や腕力が向上しても、100年経ってもゴルフのクラブはクラブですよね。ドライバーのフェイス面は変わらない。どうやったらキックがうまくなるか。その原則は昔も今も一緒なんです。だからこそデットマールの教えというものを大切にしてもらいたいですね」