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日本

「江戸時代のAKB」元祖・会いに行けるアイドルの生態と評判

なんと、人気ランキングも存在していた…

お茶屋のアイドル達

AKB48や乃木坂46から地下アイドルまで、ここ10年はまさに女性アイドル・グループ全盛、いや百花繚乱時代といったほうが正確でしょうか。

私が子供だったころも、「花の中三トリオ」、「キャンディーズ」、「ピンクレディー」など、多くの女性アイドルが活躍していましたし、アイドルに夢中になっている友人も大勢いました。

いつの時代もアイドルというのは憧れの存在ですが、私の子供時代と今とでは、決定的な違いがあります。

それは、アイドルに「会いに行ける」ということです。

はるか彼方の客席から仰ぎ見るのではなく、お金さえ払えば、直接会話ができ、さらには握手というかたちでアイドルの身体に触れることができるという点です。

手が届かぬはずの対象が、身近な存在になったわけで、「会いに行けるアイドル」というコンセプトでAKB48をプロデュースした秋元康さんは本当にスゴい才能の方だと思います。

でも、この「会いに行けるアイドル」というコンセプトは、江戸時代にすでに成立していたのをご存じでしょうか。

 

それが、水茶屋の娘たちなのです。

水茶屋とは、江戸時代、寺社の門前などに設置された休憩所で、湯茶などを提供していた簡素な喫茶店と言ったものです。

江戸中期から寺社参詣が盛んになると水茶屋の数も急速に増えました。とくに江戸では浅草寺境内が有名で、二十軒ちかくも水茶屋が林立し、一帯の地名も「二十軒茶屋」と呼ばれるようになっていました。

ちなみに東京世田谷にある「三軒茶屋」も大山道と登戸道の分岐付近に信楽、角屋、田中屋という三軒の茶屋が並んでいたことに由来する地名です。

そんな水茶屋のうち、江戸谷中の笠森稲荷の門前にあったのが、「鍵屋」です。

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看板娘に会いたくて

谷中と言えば、最近では「谷根千」などと呼ばれ、根岸、千駄木とともに下町観光スポットとして人気のようですが、当時の谷中は浅草のような水茶屋のメッカではありません。

それなのに、あるときから急にこの鍵屋だけに、男性客が殺到するようになりました。

それは、おせんという看板娘のおかげだったのです。

彼女は13歳の頃から店に出ていました(今では児童福祉法に反する話ですが、当時はごく普通のことでした)。そんな彼女がブレイクするのは18歳のとき。当時、大人気の浮世絵師の鈴木春信が、おせんの美しさに魅了され、彼女をモデルにした浮世絵を次々と発表したところ、1765年あたりからがぜん人気が高まり、

向こう横丁のお稲荷さんへ 一銭あげて ざつと拝んでおせんの茶屋へ

という川柳が残るように、笠森稲荷への参拝をさっさと済ませ、おせん見たさに男たちが鍵屋におしかけるほどの有名人になったのです。

すでに水茶屋では娘たちが働くこと自体は珍しいことではありませんでしたが、鍵屋の繁栄を見た同業者も黙っていません。当然これをまねて、これまで以上に若くて美しい娘を率先して雇うようになり、水茶屋はお茶を飲んで休憩するという本来の目的から、かわいい娘を見物に行く場所へと変貌していくのです。

一昔前に流行ったメイド喫茶が乱立した様子を思い浮かべていただければいいかもしれません。