photo by iStock
医療・健康・食 ライフ

ルンバ購入から始めた、「脳が壊れた夫婦」の家庭再生

されど愛しきお妻様【10】

ルポライターの鈴木大介さんと「大人の発達障害さん」のお妻様の山あり谷ありの18年間を振り返る本連載。脳梗塞で倒れて、高次脳機能障害を負ってしまった鈴木さん。そのことによってお妻様の苦しみを理解することができましたが、このままでは再びぶっ倒れてしまいかねない! さてどうなる?

バックナンバーはこちら http://gendai.ismedia.jp/list/author/daisukesuzuki

小銭が数えられない

発達障害妻&高次脳夫。脳梗塞によって期せずしてお妻様の生きてきた世界の「当事者感覚」を得ることが出来た僕だったけれど、そこから我が家と夫婦関係を抜本的に改革していく道筋には、いくつもの発見や気付きと考察が必要だった。

まず脳梗塞で緊急入院してから、高次脳機能障害を負った自分の認識が発達障害やその他の精神疾患の当事者認識に酷似していると気付いた端緒は、「レジ前のパニック」だった。このことは闘病記やその他の記事にも書いてきたが、少し掘り下げよう。

緊急入院から10日ほど後のことだ。幸いにも歩行の機能は失わなかった僕は、入院病棟の購買でコーヒーとフリスクでも買おうとしたのだと思う。とにかく頭がぼんやりして世界と自分の間に分厚い膜のようなものがある違和感に包まれていた僕は、刺激物を欲していた。

ゆがむ視界に戸惑いながらもなんとか目当ての商品を手に取り、レジに並んで、前の人の会計が終わって、次は僕の番。といったところで、僕はパニックを起こしてしまったのだった。

僕がレジ前でやるべきことは、簡単だったはずだ。まず商品をレジのおばちゃんに渡し、支払額を聞いて、それに合った小銭をポケットから出す。会計をすませ、お釣りがあるならそれを貰ってポケットに入れて、商品を受け取って購買を出る。それだけのことなのに、僕はレジ前で固まってしまったのだ。

商品は右手に持っていた。お金は右ポケットだ。ならばまずは僕は右手の商品をレジ前におくべきなのに、なぜか僕はそれができずに「左手で右のポケットからお金を出そうと」してしまった。

身体をひねって変な恰好し、左手には結構麻痺が残っていたからお金は出せないし、そもそも僕の左手は右ポケットに届くほど長くはない。

どうしよう。僕は短い左手を必死に伸ばして、右ポケットの入り口付近を必死に探る。けど、指は届かない。

photo by iStock

店員さんはじっと僕の動きを待っている。「早くしなさいよ」。そんなことはひと言も言われていないのに、言われている気がした。後ろに他のお客さんがまた並んだ。どうしよう。焦りの感情が心の中で膨れ上がり、息苦しい。

なんとか知恵をひねり出すようにして商品をレジ台におき、右手でポケットの中から金を出した。ところが今度は、小銭を数えようとしているのに、それが出来なかった。

あれ、いくらって言われたっけ? 目の前のレジに電光表示される金額は、僕の商品の金額なのだろうか? 分からなくて、麻痺で呂律の回らぬ口調で店員さんに聞く。

「……い……いくら……ですか?」

「392円です」

普通の返答だろうに、その言葉は異常に聞き取りづらい早口に感じる。意地悪なおばさんだ。もっとゆっくりわかりやすく言ってくれればいいのに。言われた値段をすかさず電光表示の金額と比較すると、同じだ。電光表示も392円。

じゃあ支払おう。ポケットから出した右手の小銭を、数えようとする。100円を1枚、2枚、あれ? 会計はいくらだっけ?

電光表示を再度確認。392円。

確認して目を離し、再び右手をの小銭に眼をやって、100円を1枚、2枚、3枚……あれ? 会計はいくらだっけ?

電光表示から眼を離すと、小銭数えてる間に金額が分かんなくなる。300円まではなんとかレジ台に出して、今度は10円玉を1枚、2枚、3枚、4枚、5枚……あれ、今何枚まで数えたっけ? いや、そもそもお会計はいくらだったっけ?

 

経験したことのない頭の混乱に、思考が停止した。何でこんなことができないんだろう。ああ、店員さんも他のお客さんも待っている。焦りの感情が溢れて額と背中に汗がどっと出る。

必死になってもう1回小銭を数えようとすると、後ろに見舞客の子どもの叫び声が聞こえて、また何枚まで数えたのか、支払総額がいくらなのかわからなくなる。このまま「やっぱ要りません」と言って病室に逃げ戻りたい。もしくは叫びながら暴れまわりたい。

どうしようどうしようどうしよう。

にゃあああああああああ!!(心の叫び)

なんとか「1000円札で払う」という超必殺技でクリアした僕は、挫折感と情けなさと絶望感と、妙な「既視感」を抱えながら、ポケットを小銭で膨らませて病室に戻った。そして、見舞いに来てくれたお妻様に呂律の回らぬ口で、こう報告したのだった。

「お妻様、さっきレジでね。超意味分からんくなった。俺、小銭数えらんない。ヤバい」

「札で出せたんならいいじゃん。あたしも焦るとよくやるよ?」

そうか、だから貴様に財布を渡すとやたらめったら小銭で分厚くなって返ってくるのか。

photo by iStock

「まあそうなんだけど。でも俺、これ知ってるんだよ。俺が取材してきた人たちって、結構ウツとかパニックとかのメンヘラさん多かったでしょ。発達障害の人多かったでしょ。レジでパニック起こして俺の前で泣き出しちゃった人とかいたし、コンビニで店員さん怒鳴りつけたりする人いた。小銭が数えられなくなった自分に絶望したって話、何度も聞いたよ?」(興奮気味)

「大ちゃん、ゆっくり」

「ゆっくりしてたらレジの人待たせちゃうじゃん」

「じゃなくて、ゆっくり話せ」

情緒の抑制が利かず、呂律回らないくせに早口で噛み噛みにどもりながら話す僕を制御すると、お妻様は言ったのだった。

「ようやくあたし(ら)の気持ちがわかったか」

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら