芦田愛菜さんが「一番魂が震えた」と絶賛したこの一冊

紹介した後、即品切れに

偏差値70超の超難関中学、慶應義塾中等部に入学した芦田愛菜さん(12)。

読書家としても知られる彼女が、先日、あるテレビ番組で「一番魂が震えた」と紹介し、大きな話題を呼んだのが、『山中伸弥先生に、人生とiPS細胞について聞いてみた』だ。

本書は、山中先生のノーベル賞受賞後初にして唯一の自伝。芦田さんは、「他の人の何倍も努力をされているのに、その努力を楽しんでいる」山中先生の姿に心を動かされたという。天才少女が最も感動した箇所を特別公開!

 

「ジャマナカ」と呼ばれて

ぼくの好きな言葉の一つに「人間(じんかん)万事塞翁が馬」があります。

昔、中国に住んでいた塞翁というおじいさんの馬が逃げ出します。近所の人が気の毒がってなぐさめると、おじいさんは平然として「これが幸福のもとになるかもしれん」といいます。

しばらくすると以前逃げた馬が、名馬をたくさん引き連れて戻ってきました。近所の人から「おめでとう」と祝いの言葉をもらったおじいさんですが、今度は「これが禍(わざわい)のもとになるかもしれん」といいます。

すると今度は、馬に乗っていたおじいさんの自慢の息子が落馬して骨折し、足に障害が残ってしまいます。さぞやおじいさんが嘆き悲しんでいるだろうと近所の人が見舞いに行くと、おじいさんはやはり平然として「これが幸福のもとになるかもしれん」といいます。

その翌年、隣国との戦争がはじまりました。国の若者は戦闘に駆り出され、ほとんど亡くなってしまいますが、塞翁の息子は足の障害のため兵役を免れ、戦死せずに済みました。人生における幸・不幸は予測できないことをあらわす故事です。

ぼくの人生も、まさに「人間万事塞翁が馬」と思える出来事の連続です。それがスタートしたのが、研修医時代でした。

医学部を卒業した1987年、整形外科の研修医として、ぼくは国立大阪病院(現・独立行政法人国立病院機構大阪医療センター)に勤務することになりました。

当時、国立大阪病院は、整備工事によって近代的な病院に生まれ変わったばかりでした。真新しい建物が、大阪城の真横に堂々とそびえ立ち、病院内には最新の設備がズラリ。こんなすばらしい病院でトレーニングを受けられるとは「自分はなんてラッキーなんや」と、喜び勇んで研修医生活をはじめたわけです。

しかし、自分はラッキーという喜びは、病院で働きはじめてまもなく打ち砕かれます。予想もしなかった厳しい指導医がぼくを待ち受けていたからです。

それまで体育会系の中でも上下関係が比較的はっきりしている柔道部とラグビー部に身を置いていたので、怖い先輩や厳しい先生という存在には、じゅうぶん慣れているつもりでした。

しかし、ぼくの指導医の先生は、それまでの人生で出会ったどんな人ともくらべられないほど恐ろしかった。まさに鬼軍曹でした。

その指導医に、ぼくは山中という本名を呼んでもらえませんでした。研修期間の二年間ずっと「ジャマナカ」です。

「お前はほんまに邪魔や。ジャマナカや」といわれつづけました。