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週刊現代

テレビの脚本家が小説を書くことのおもしろさと難しさ

中島丈博の「リレー読書日記」

芥川賞候補になった田村孟の小説

いいど、処女会。おらんかが味方だからな。
 てめえなんか処女の腹を膨らませるほうの味方だんべや。

田村孟全小説集』の至るところ上州弁が躍動し、その叙述は屈曲しつつもみずみずしさを纏っている。

36歳でTVドラマ脚本の断筆宣言をなし、44歳までに書き著した小説8篇。その時間軸の殆どは昭和20年前後の2、3年、著者の生家のある群馬県西外れの妙義町周辺が舞台である。

昭和19年、東京から疎開して18歳で東大文学部に入学するまでの郷里体験が礎になっているのは明らかだ。

芥川賞候補作品となった「蛇いちごの周囲」は津和子の第一印象から始まり「津和子淹留」と「鳶の別れ」は連作の体裁となる。津和子の姉は土地の山持ちの息子、学徒出陣した夫の神宮雄一郎の戦死後、義父の迅一郎のもとに移り住んでから自殺。

その自殺の原因を怪しみながら東京からやってきて、そのまま居着いた津和子が中学生の「ぼく」にとって如何ばかりか鮮烈な存在であったかが納得される。

田村孟全小説集

「津和子淹留」では、戦死公報の誤りのために妻が弟と結婚してしまい、畑の掘っ立て小屋で浮浪者同然に盗み食いをしながら生きる兄の復員兵らの戦後が津和子の目を通して描かれ、「鳶の別れ」では、受験のために上京した「ぼく」が津和子のもとを訪ね、登和子の自殺死体の有様や村芝居の主役となった津和子の女王ぶりなどが反芻される。

各篇を通じて介在するのは怪物的支配力を身に帯びる神宮迅一郎で、この人物への反抗の決着を自己暴露することで、津和子の戦後史の終結を匂わせるのだ。

 

津和子に登和子が乗り移り、「ぼく」と戦死した雄一郎がダブるなど、過去と現在は頻々と交錯しながらも進行する時間はひと繋がりのものとして語られる。

農地改革騒動や戦後の演芸会ブーム、近郷の青年団の面々と主人公の中学生の関わりを描いた「いま桃源に」の野卑な面白さに、私は自身の疎開体験を重ねて読んだが、この時間の流れもひと繋がりだし、天皇の戦犯問題を回避すべく偽者を仕立てて元侍従ら6人が本物と長野県の聖域に立て籠もる「世を忍ぶかりの姿」にしても唯一、時代設定と舞台は異にしながらも1973年の大嘗祭という1日の話で、殆ど舞台劇的ですらある。

時間と空間の一体性はドラマツルギーの基本であって、その点、脚本家でもある田村孟の小説群はその骨法に忠実で、地の文続きながら台詞はしっかり組み込まれている。