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「ジャズ=アメリカ」という考えは、まったくの誤解だ

国際政治と音楽の裏面史

結び目のほどきかた

野球やホットドッグ、ミュージカルやジーンズと同じように、ジャズはアメリカ的だ。

だがその等式はどこまで物語のすべてを語っているのだろうか。等式が創られたものだったとしたら、どうだろう。われわれはジャズとアメリカの関係を、どこまで無条件に語りうるだろう。

ジャズ・アンバサダーズー「アメリカ」の音楽外交史』(講談社選書メチエ)は、ジャズとアメリカの解きがたい結び目の「ほどきかた」を論じている。焦点を当てるのは、たとえばジャズ=アメリカの等式に社会改革の夢を託す人たち、プロパガンダとしてのジャズの機能に期待する政治家や官僚たち、ジャズをアメリカ批判の武器に転用する各国のファンである。

アメリカ南部の多文化都市ニューオリンズで生まれたジャズは、当初からブルースやラグタイムの影響、独特のリズム感など、黒人文化と密接な関係を保ってきた。やがて戦間期にはジャズ=アメリカの等式を唱える人びとがあらわれるが、黒人文化に起源をもつジャズのイメージは当初悪く、けっきょくアメリカ政府が「アメリカの音楽」としてのジャズの価値を「発見」するのは1955年を待たねばならない。

翌年からジャズ界の巨匠たちがジャズ・アンバサダーズ(ジャズ大使)として世界中に派遣されることになるが、その目的はソ連の流すアメリカ=人種差別国家のプロパガンダ等式を否定することにあった。

フランス起源説、オデッサ起源説、大英帝国起源説

こうして国家戦略としてジャズの対外利用がはじまるわけだが、そもそも歴史上にはジャズのアメリカ起源説を否定する人びともかなり存在する。

たとえば戦間期に『始原のジャズ』を著したフランスの批評家アンドレ・クーロワ。クレオール都市ニューオリンズにおけるフランス文化の影響を重視し、第二次世界大戦中の対独協力政権(ヴィシー政権)期にジャズのフランス起源説を唱えた。ヴィシー政権の同調圧力に抗いつづけ、自由の象徴としてジャズを聴いた「ザズー」たちに対処するため、ジャズを愛好することと愛国的であることを両立させたのである。

喜劇とジャズを融合させた「テア・ジャズ」を実践したソ連のレオニード・ウチョーソフは、出身地であり黒海に面した多文化港湾都市でもあるオデッサ起源説を唱えた。「ソヴィエト・ジャズ」の可能性が語られた戦前のことである。

戦後も、イギリスではジャズのアフリカ起源=大英帝国起源説が立てられた。背後には、ジャズの価値を否定しつづける起源の地アメリカを子どもに見立て、養育者としてジャズの価値を称揚しつつ、文化的・道徳的高みからアメリカを批判する論理がある。