太田大輔『江戸のまち』より
歴史

江戸時代は「大きな変化がなかった」からこそこんなに面白い!

眺めるだけでハマる絵本

「アメリカかぶれ」の少年期

1976年、23歳の時、ぼくは印刷所、友達はパチンコ屋で半年間アルバイトをしたお金でアメリカを旅した。車でのキャンピングだった。

アメリカ建国200周年の時で「運命ʼ76」というベートーベンの曲をアレンジしたロックが大流行していた。車のラジオから絶えずその曲が流れていて、今でもそのサウンドが耳に残っている。

長崎がルーツの父方の大叔父はアメリカへ移民し、大成功をおさめ西海岸の都市シアトルでホテル王とまで呼ばれるほどだった。子供(日系二世)を9人もうけたことから父の従兄弟が9人もいたことになる。

ぼくが幼い頃、その日系アメリカ人が、その当時はまだまだ田舎だった東京練馬の父の家までアメリカの香りを運んできたので、子供ながらにアメリカの空気を肌で感じて育った。そんな親戚が広いアメリカのあちこちに点在していたので、それを訪ねる旅でもあった。

 

キャンプをしながら、ロスアンジェルス、ニューヨーク、デトロイト、シカゴ、シアトルと時折親戚の家に居候しながらの旅だった。姉もそんな縁で結婚してシアトルに住んでいたので、そこには1ヵ月も世話になった。

アメリカから日本に持ち帰った意気込みで「ぼくの小さなアメリカ」と題して写真展を開いた。それがぼくの作品展の始まりだった。旅での経験がぼくの作品制作に長く大きく関わっていく。その後表現方法は写真から絵や版画に変わるが、テーマはずっとアメリカだった。

二度目の個展は1980年シアトルで、その時の印象を版画にした展覧会だった。その後シアトルで二度目の個展も開き、紆余曲折ありながらイラストレーターになってからも英語テキストや企業のPR誌の表紙絵はアメリカを題材にすることが多かった。

今度発売された『絵本 江戸のまち』とは全く結びつかない仕事経歴だが、そんな作品制作を25年ほど続けてきた。時が経ちバブルが弾け、イラストレーターとしてかなり忙しかった仕事が暇になり、自由な時間がもてるようになった。その時たまたま落語を聞く機会があった。

インターネットが当たり前の時代になり、落語もダウンロードして聞ける環境になっていた。新しもの好きなぼくはコンピューター操作を楽しむために、AppleのiPodに落語をダウンロードし、なにげなく聞いたのだった。それまで落語とか江戸時代には全く興味がなかったぼくだったが、年齢的なこともあるのか、何故か落語を手にしたのだった。

その時聞いたのは古今亭志ん生さんの「火焰太鼓」という話だった。さえない道具屋の古い太鼓が大名に法外な値段で売れる話だが、その中で武士が馬鹿な道具屋にとても優しく接していた。その内容がぼくには衝撃的だった。「江戸庶民と武士って、考えていたのと違い面白い関係だな……」と思った。

実際調べると、町民も下級の武士株を金で買うことが出来たし、東海道五十三次で有名な浮世絵師歌川広重は武家出身の幕府の火消しだったし、俳人の芭蕉や作家の十返舎一九も若い頃は立身出世を望む武士だった。その落語を聞いてからアメリカ文化とは正反対の江戸時代と落語の世界に滑るようにのめり込んでいった。

その頃ちょうどイラストレーターから絵本作家に転向しようと考えていた時期で、テーマを模索していた。これは何か作れそうだと妙な自信が湧いてきて、落語のCDを聞きあさり、生の落語に接する高座、末広亭や演芸場にも足を運び、江戸の書物や小説もたくさん読んだ。

そして2010年、おじいちゃんが不思議な機械を使って孫達に江戸を教える、絵本『カラクリ江戸あんない』を出版し、物語では江戸のリサイクル行商職人が登場する『なおし屋タコ吉』、長屋の生活道具が妖怪化する『まげすけさんとしゃべるどうぐ』を作り、2014年には擬人化した動物の時代活劇、長編小説『江戸の象吉』を書き上げるまでになった。もうぼくの頭からアメリカは消えていた。