エンタメ ライフ

「ジュリ扇」進化論~バブル絶頂のディスコを語ろう

荒木久美子と甘糟りり子とDJ OSSHYが…

仕事帰りのサラリーマンもOLも、夢中になって踊った。あの頃の日本は「狂っていた」と揶揄されるけど、みんないまより、人生を楽しもうと懸命だった。

扇子と改造ボディコン

OSSHY バブル絶頂期のディスコというと、麻布十番の「マハラジャ」('84年開業)や青山の「キング&クイーン」('86年開業)あたりが有名ですね。

一方、「ジュリアナ東京」('91年開業)はバブルっぽいイメージがありますが、実際はバブルが終わったあとにディスコ文化の代名詞となった場所でした。

甘糟 私が大学時代に通っていたのはまさしく「マハラジャ」や六本木の「ナバーナ」でした。田中康夫さんの受け売りですが「マハラジャが流行ったのは、近くに駅がなかったからだ」という話があります。

たしかに、車を見せびらかしながら、ディスコまで乗り付ける人がたくさんいました。BMW、ベンツ、ポルシェなどなど。私も外車で乗り付けて、カギをポーターに渡していました。若気の至りですね(笑)。

Photo by iStock

OSSHY 荒木さんは、「ジュリアナ東京」では「師匠」と呼ばれるほどのカリスマ的存在でした。服装とかにはこだわりが強かったんですか?

荒木 「ジュリアナ東京」のころは、私は「改造ボディコン」を着ていました。渋谷の109などでボディコンのワンピースを買って、ハサミで切って穴を開けるんです。当時は輸入物じゃないと、そういうデザインの服がなかったんですよ。

OSSHY ちなみに「ジュリ扇」(「ジュリアナ東京」でお立ち台に立つ女性が振っていたカラフルな扇子)は、どこで仕入れていたんですか?

 

荒木 実は、中国雑貨店の「大中」で買っていました。当時、「ジュリアナ東京」には、毎週2000人、3000人が集まっていました。だから、お立ち台で踊っていると、とにかく熱いんです。

OSSHY たしかにあの熱気はスゴかった。

荒木 それで家にあった扇子を持って行くようになったんです。最初はお立ち台から降りたときに使っていたのですが、そのうち胸の谷間に扇子を差してお立ち台に上がり、踊りながら扇ぐように。

それで、最終的には、「どうせならもっとデカくて、派手なほうがいい」と、「大中」で売っている羽根付き扇子を使うようになりました。

だから、いかにも美しく踊っているように見せながら、実際には暑さしのぎに風を送っていたというのが「ジュリ扇」の真実です。

甘糟 そういえば、「マハラジャ」で、フロアが混みすぎて、盛り上がった女の子たちが台に上がって踊り出したことがありました。今考えてみると、あれが「お立ち台」誕生の瞬間だったんじゃないかと思います。