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松竹株式会社、最初の呼び名は「まつたけ」だった
一風変わった社名の理由

ゲン担ぎの社名命名

新たな会社を興そうとする創業者にとって、最初の大仕事となるのが、どんな「社名」をつけるかだろう。自身の名前、会社の業務内容、所在地、はたまた主力商品の名前か、と頭を悩ますに違いない。

東宝、東映と並ぶ日本三大映画会社の一角、松竹株式会社は、中でも一風変わった経緯で社名を決めた会社の一つである。

同社の創業は明治28年。京都の相撲興行師の一家に生まれた大谷竹次郎が京都の阪井座を買収し、興行主となって演劇興行を始めたことがルーツとなっている。

この竹次郎には双子の兄・松次郎がいて、彼もまた興行界で活躍していた。そんな双子の活躍ぶりに注目した大阪朝日新聞が明治35年の正月に、松次郎の「松」と竹次郎の「竹」の二文字をなぞって、「松竹の新年」という見出しで二人の記事を掲載する。

これを機に、二人の名は次第に世間に知られ、同年には松次郎を社長とする松竹合資会社(すぐ後に松竹合名会社)が創立された。

名付け親ともいうべき大阪朝日新聞の見出しでは、「松竹」を「まつたけ」と読んでいたことから、社名もそのまま「まつたけ」という読み方にしたという。

これにはもう一つ理由があって、厳しい冬を耐えて緑を保つ「松」「竹」も、古くから高級品であった「松茸」も、同じ「まつたけ」という読み方であってどちらも縁起物であることから、社名にふさわしいと考えられたとされている。

大正9年、同社は松竹キネマ合名社を設立し、映画の自社製作を開始する。それと同時に「まつたけ」から現在の「しょうちく」へと読み方は変わるが、ゲンを担いだおかげか、松竹はその後も発展を遂げていく。

昭和6年に日本初のトーキー映画『マダムと女房』を、昭和26年には日本初のカラー映画『カルメン故郷に帰る』を配給するなど、常に時代を先取り。さらには『男はつらいよ』シリーズといった人気作品を次々と世に送り出し、昭和映画界の黄金期を築いていったのだった。(栗)

週刊現代』2017年5月27日号より