Photo by iStock
週刊現代

消え行く田舎の「エロ本自販機」を追った、稀有な民俗書

呆れつつも、読み始めたら止まらない

恍惚の自販機

どうやってエロ本を手に入れるかに命をかけていた中学時代、街道沿いにあるエロ本自販機の存在は仲間内で特別視されていた。

日が暮れると自販機の入った小部屋が妖しく光り始める。意を決して入ってみたものの、何かを買う勇気などなく、何台もの自販機に気圧されてたじろいだだけだった。周囲を気にしつつ小部屋を出て、逃げるように自転車を走らせた。

黒沢哲哉『全国版 あの日のエロ本自販機探訪記』は3年半かけて全国津々浦々のエロ本自販機を訪ね、記録した一冊。朽ちていく地方の窮状を知らせるかのように、静かに灯っていた自販機がポツポツと消えていく。

この手の自販機が生まれたのは1970年代半ばのこと。出版社が書店流通のエロ本とは別に自販機専用のエロ本作りを始めたことで波に乗るも、ビニ本の隆盛や家庭用ビデオデッキの普及によって、その流行りはすぐさま萎んでしまう。

'80年代半ば以降、物流業が盛んになると、高速道路やバイパスが地方へ延び、飲食の自販機やそれらを食すためのテーブル・椅子が置かれた自販機ショップが、長距離ドライバーの癒しスポットとなった。ここで息を吹き返したのがエロ本自販機。

その分布はモータリゼーションと密接に関係していたのだ。そして、僻地のロードサイドに置かれることの多いエロ本自販機は、時に豪雪に埋もれ、時に震災で津波の被害を受け、時に自殺の名所のそばで誰かを思いとどまらせてきたという。

自販機販売業者への取材で明らかになる法規とのせめぎ合いも興味深いが、味気ないプレハブ小屋の写真を延々と閲覧させられる稀有な読書体験が、呆れつつも止められない。

 

暖簾をくぐれば、おびただしい情報が四方から迫ってくる、中学時代に感じたあの圧迫感を思い起こす。エロにまつわる情報が手元でいくらでも収集できるようになった現在、あの個室が作り出した圧迫感は必要とされなくなった。この狭小空間が全国に張り巡らされてきた史実を伝える、重厚な民俗書である。

狭い部屋はなぜ魅力的?

幼少期に作った秘密基地がそうだったように、狭苦しい場所を占有することに快感を覚える習性は大人になっても変わらない。

要塞のように本や書類が積み上がっている机ほど心地よいものはないが、時折テレビで見かけるベンチャー企業などでは、毎日違う机で仕事をする「フリーアドレス」なる制度を設けており、そんな通気性を売りにする会社で働けるかよ、と憤るが、あちらもこちらをお呼びではない。

近藤祐『〈狭さ〉の美学』は、日本文化における〈狭さ〉という価値観の変遷を問う。そもそも〈狭さ〉は、身を守るという動物的生存のための必須条件だった。人付き合いから街作りまで〈広さ〉がいたずらに礼賛される今、〈狭さ〉はいかなる意味を残すのか。

『方丈記』を記した鴨長明は出家して草庵を結んだ。都市における人間関係、主従関係、名誉、出世欲から解き放たれ、狭さに固執したのだ。隠者の草庵ではなく、都市の中に草庵を再現したのが千利休の「茶室」。〈狭さ〉は継承されていった。

現代の建築では、あらゆる場面で「私」であることより「私たち」であることが求められ、それがストレスに直結する。