現在行われている東京六大学野球には数々の名エピソードがありますが、六大学の校歌や応援歌に関わったひとびとにも、知られざる逸話がたくさんあります。
かれらは、六大学以外の校歌や応援歌、また多くの社歌や団体歌にも関わっていますので、われわれにとってもなじみ深い存在です。
たとえば、慶應義塾の塾歌を作曲した信時潔(1887〜1965年)。かれは、グンゼや日立製作所の社歌や、桜蔭学園や開成中高等学校の校歌の作曲者でもあります。
信時は、東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)本科の作曲科創設に尽力した音楽家であり、長らく同校の教授・講師をつとめました。
そのため、ピアノをまえに生徒を指導することも多々ありました。
そんなとき、ヘビースモーカーの信時は、煙草の代わりに鉛筆をくわえ、その鉛筆で生徒の楽譜を直したといいます。
それはそれでいいのですが、信時は、熱心に指導するあまり、口に溜まった唾液を飛ばしがちでした。鉛筆についた唾液が垂れることもあったかもしれません。
こうして、鍵盤はいつもよだれでテカテカになってしまいました。
しかし、当の本人はそれに気づかず、涼しい顔で、
「わかったら、弾いてごらん」
といってきます。
弟子たちは困惑します。当時の師弟関係は、いまよりずっと厳しい。偉大な先生に、「あの、よだれが……」と指摘できるわけもなく、気持ち悪いのを我慢して、そのまま鍵盤に向かったそうです。
これは、弟子のひとり、大中恩の回想です(阪田寛夫「海道東征」)。
慶應の塾歌なども、こうしてよだれに塗れたピアノから生まれたのかもしれません。
いきなり六大学野球の爽やかさとは縁遠い話で恐縮ですが――。