不登校だった私を「多次元宇宙論博士」へと導いたSF冒険物語

『フラットランド』をご存知ですか
竹内 薫 プロフィール

アボットは51歳で退官したあとも、神学研究書、ラテン語教本、冒険物語などの執筆を精力的につづけた。そのどれにも共通するのは、リベラルで風刺的な視線だ。

本書は、女性蔑視や身分差別的な内容を指摘されることもある。これから本文を読み進めるうちに、そうした不快感や違和感をもつ読者もいらっしゃるだろう。

その点については、アボット自身、「自分は歴史家の視点で、フラットランドでの一般的な社会態度を記した」というようなことを述べたうえで、改訂版では、いきすぎた女性差別的表現をかなり削除している(ちなみに、今回の日本語版はこの改訂版からの翻訳である)。

私としては、本書での身分制度的・女性蔑視的な設定や表現は、ヴィクトリア時代の女性や階級の扱われ方を、あえて強調し、風刺しているように感じられる。それだけでなく、ブレークスルーを拒絶する権威や社会の滑稽さも、存分に描かれている。

なにより、その風刺が21世紀の現在でもなお、わたしたちの胸に鋭く突き刺さることの意味を考えたい。

とはいえ、そんな難しいことは抜きに、(少しネタバレですが)主人公の冒険にわくわくし、少し時代がかったサガ的な部分に若干あくびをし、次元に住むとはこういうことかとふむふむうなずき、あらためて次元や図形の概念に思いをはせ、ちょっとだけやり場のない無力感に襲われ、最後はまるで自分自身が冒険と挫折を経験した主人公だったような気持ちで、本を閉じ、なんとなく懐かしい気分で表紙(そして写真!)をじっと眺める。

『フラットランド』はそんな本なのだと思う。

Red Hills and Road〔PHOTO〕Aydın Büyüktaş

創造力を高める本?

『フラットランド』は、これまでに何回か欧米でアニメ化や短編映画化されている。それほど、クリエイターやアーチストの創造力を刺激する作品なのだろう。写真家アイドゥン・ブユクタシも、イマジネーションをかき立てられた一人だ。

このたび私が翻訳した新訳版では、ブユクタシ氏が『フラットランド』に刺激を受けて撮り始めたシリーズも特別収録しているが、氏の作品を観て、わたしの脳裏にひらめいたのは「サイバーパンク」という言葉だ。

1980年代から台頭したサイバーパンクは、小説、映画、アニメ、漫画、建築、音楽、コスプレとさまざまなジャンルにわたっている。今では皆さんご存じの『ブレードランナー』や『マトリックス』といった映画は、サイバーパンクの走りだろう。

その世界観と本書の世界観(舞台は1999年の大晦日である。1884年当時からは遠い未来だったろう)は、とても似ている。調べてみると、実際、本書は、サイバーパンク好きからも支持されているようだ。

文化はこうして連鎖してゆく。そうした文脈から、本書を読むのも一興かもしれない。

 

4次元を想像する方法

冒頭でも少し触れたが、現代物理学では、宇宙は(実際に)多次元だと考えられている。しかも、アインシュタインの4次元を超えて、この宇宙が10次元(もしくは11次元)だとする超ひも理論が有力な仮説になっている。

多次元を頭に思い浮かべるために、別に特殊な訓練は必要ではない。実は、『フラットランド』のように、低い次元と高い次元のあいだを「行き来」して実感するだけでいいのだ。

現代物理学の最先端を理解するためにも、『フラットランド』は最適な準備となることだろう。

最後に一言。『フラットランド』は、理系も文系も関係なく、ワンダーランドに浸りたい全ての人に読んでもらいたいSFファンタジーの古典なのです。是非、ご堪能あれ。

フラットランド