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坂口杏里に教えたい…母・坂口良子「アイドル女優時代」の圧倒的魅力

忘れられた70年代の彼女

代表作は『池中玄太〜』か?

坂口良子の名前がいまでもときどき挙がる。まあ、お母さんだった坂口良子という文脈なのだけれど、そのおり彼女の代表作としてよく『池中玄太80キロ』が挙げられる。

たしかにもっともよく知られた作品としては、そうなるのかもしれない。

女優坂口良子は、1980年のドラマ『池中玄太80キロ』からしっかりした女優として記憶されているのだろう。

ただ、私はそれ以前、1970年代の坂口良子のほうが印象が強い。そのころの坂口良子が大好きだった。それは池中玄太以降の坂口良子とかなり違うイメージである。

1970年代をだいたい坂口良子を見て過ごしてきた私としては『池中玄太80キロ』以外の作品名も、少しは紹介して欲しいとおもってしまう。

1972年10月から始まった30分ドラマ『アイちゃんが行く!』が坂口良子の始まりである。

金曜夜7時からのドラマだ。坂口良子が主演だった。当時私は中学3年生だったのだが(学齢で言えば坂口の二つ下)、あまり中3男子が見るドラマだとはおもえなかった。(中3の私が熱心に見ていたのは『天下御免』や『飛び出せ!青春』『木枯し紋次郎』などである)。

ただ、主演の女の子が可愛かったので目に止まって、見始めたのである。なぜこんなドラマを、という家族の不思議がる空気の中で見ていた。

坂口良子は17歳だった(ドラマ開始時は16歳)。本郷直樹と鈴木ヒロミツと旅をしているドラマだった。最後はイケメンの本郷直樹ではなく、鈴木ヒロミツのほうをアイちゃんは選んで、拍子抜けした記憶がある。

この時点で坂口良子のファンなどはそんなにいないだろう、と私はおもっていた。少なくとも私の周辺には誰もいなかった。新人女優だから当然である。

1970年代のドラマは2クール、つまり半年続くのがふつうだった。

『アイちゃんが行く!』は1973年3月まで放映され、続いて同じ枠で放映された『GO!GOスカイヤー』にも出演したが、これは主演ではなかったので、とびとびにしか見ていない。

その秋1973年10月から始まった『サインはV』で坂口良子はまた主演を演じる。

あの有名な岡田可愛の『サインはV』の続編である(岡田可愛版は1969年作品)。日曜の夜7時半からの30分ドラマだった。

4年前のドラマは大ヒットしたが、こちらはそこまでヒットしていない。おそらく覚えている人も少ないとおもう。坂口良子は主題歌を歌ったので、そのドーナツ盤のレコードを私は買った。

また、このドラマ放映中にウルトラマンシリーズ(ウルトラマンタロウ)に坂口良子が出演し、怪獣相手にバレーボールで戦うというシュールなシーンをよく覚えている。スポーツドラマとして、私はふつうにおもしろかった。

 

見る者を切なくさせる

そのあと、1974年4月から『青い山脈』に主演する。

これはきちんとした大人向けの60分ドラマで(フジテレビ系列月曜8時)、かなり晴れがましい場所に飛び出してきたという印象がある。

あらためて見ると、主演が続いている。かなり注目された女優だということがわかる。

このドラマが坂口良子10代の代表作だとおもう。

『青い山脈』は石坂洋次郎の原作、1949年に映画化され大ヒットした作品である。そのあとこの1974年までに2回映画化され、2回ドラマ化されている(これ以降にもあと2回映画化された)。戦後日本で大人気だったコンテンツである。

戦後の左翼的な気分によって支持されていた作品だという指摘がある。1970年代はまだまだそういう気分が横溢としていた。

坂口良子の相手役は志垣太郎。志垣の両親役である加東大介と沢村貞子がとてもいい味を出していた。