ルイス・フィーゴ〔PHOTO〕gettyimages
サッカー

憧れのスペインリーグで、僕はフィーゴから盾をもらったのだが…

安永聡太郎Vol.6

(*Vol.1はこちら http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50423

レンタル移籍でスペインへ

1997年、安永聡太郞は横浜マリノスからレンタル移籍でスペインに渡っている。清水商業高校から横浜マリノスに入る際、国外留学の約束をとりつけていたのだ。

安永が加入することになったのは、カタルーニャ州リェイダを本拠地にする、ウニオ・エスポルティーバ・リェイダ・S・A・Dというクラブだった。

1947年にウニオン・デポルティーバ・リェイダというクラブが設立。78年に他のクラブと合併し、ウニオ・エスポルティーバ・リェイダとなった。そして92年にウニオ・エスポルティーバ・リェイダ・S・A・D(以下、リェイダ)と改称している。

リェイダはカタルーニャ州リェイダ県の県都。バルセロナから陸路で170キロ弱の場所にある、人口約14万人の小さな街である。

リェイダはその静かな街に似合った、控えめなクラブと言ってもいい。2部リーグが定位置で、50-51年シーズン、そして93-94年シーズンの2度だけ、1部リーグに昇格したことがある。

スペインサッカーは格闘技

リェイダで安永が戸惑ったのは紅白戦での当たりの激しさだった。

「もう、ガシャガシャですね。日本だとガツガツこない場所で、ドーンと(当たって)来る。ぼくたちの感覚では味方同士で削るのはやめようという感じなんですけど、行かないと(同じチームの選手から)怒られる。行っても謝る選手もいない。

逆に、(ボールを受けて)最初のコントロールで動かしていると、向こうは凄い勢いで(滑り込んで)来るから、ぱっと外す。そういうのを覚えていきましたね」

 

フィジカルコンタクトの強さの象徴の1つが、レガース(すね当て)の大きさだった。安永は試合前、日本で使っていたレガースをつけようとすると、チームメイトから「なんだ、これは?」と笑われたという。

自分の脛に合わせた大型のレガースを特注するのが普通なのだと教えられた。

「足首の周りは特に守っておかないと危ない。スパイクも頑丈なのが人気で、裏側にアルミ製のほどよく削れた(ポイント)ものを使っていましたね」

スペイン1部リーグでもホーム、アウェーに関係なく常に華麗なパス回しをするのは限られたクラブである。それ以外のチームは激しく体をぶつける。スペインのフットボールは格闘技でもあると安永は考えるようになった。

前年の96-97シーズン、リェイダは2部22クラブ中11位という成績だった。このシーズンから安永を含め、多くの新しい選手が加入しており、3度目の1部リーグ昇格を目指していた。

チームは、4-2-3-1というシステムを採用していた。

「4バックにダブルボランチ、その前に3枚の中盤がいて、フォワード1人。ディフェンスはそれほどしなくて良くて、好き勝手できた」

リェイダは開幕2戦、1部から降格してきたセビージャ、そしてアトレチコ・マドリーBに連敗したものの、10月ごろから調子を上げていく。

そして、コパ・デル・レイ(国王杯)を迎えた。

これは日本の天皇杯と同じように1部、2部リーグというカテゴリーを超えて、国内のクラブがトーナメントで対戦する大会である。

リェイダは予選でアンドラCFを下し、第1ラウンドに進んだ。そこで1部リーグ所属のレアル・サラゴサと対戦することになった。