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文学 建築

文学と建築のあいだ 〜なぜまったく違うジャンルなのに響き合うのか

『建築文学傑作選』刊行記念特別対談

文学と建築。まったく異なるジャンルでありながら、そのたたずまいやなりたちに文学を思わせる建築、そして構造、手法に建築を思わせる文学がある。

日本を代表する建築家・青木淳さんが、自ら編纂した『建築文学傑作選』をめぐって、収録作家の一人である平出隆さん(作家・詩人)と特別トークを繰り広げた。なぜ文学と建築は響きあうのか?

文学と建築のつながり

平出隆:このアンソロジーのタイトルは『建築文学傑作選』ですが、「建築文学」というのは、青木さんが作った言葉ですか?

青木淳:そうですね。最初に考えたのは「建築物が登場しない建築文学」を集めてはどうか、という案だったんです。建築物が出てくる建築文学って結構パッと思いつくでしょう。「金閣寺」とか。

青木淳青木淳氏 ルイ・ヴィトンビル、青森県立美術館などの作品で世界的な評価を得る建築家

平出:具体的な固有の建築物ですね。

青木:あるいは今回「中隊長」という作品を収録させていただいた筒井康隆さんで言うと、「家」という、ちょっと変わった構築物が登場する作品とか。

平出:それを外すと言うことは、ここで言う「建築」とは、素材とか対象としての建築ではないということですね。

青木:平出さんのご著書『遊歩のグラフィスム』の中に、正岡子規の「俳句は文学の一部なり。文学は美術の一部なり。故に美の標準は文学の標準なり。」とか「文学の標準は俳句の標準なり。すなわち絵画も彫刻も音楽も演劇も詩歌小説も皆同一の標準を以て論評し得べし。」という正岡子規の言葉が引用されています。

詩歌と美術とは違うものだけど、その基準は同じである、ジャンルをまたいでつながるものがあると。

遊歩のグラフィスム

それならば建築も、必ずしも実体としての建築物じゃなくても、文学とつながるところがあるんじゃないかな、と思ったんです。

平出:今の子規の言葉の中には階層という意味も含まれています。たとえば詩歌の下に俳句がある、という階層ですね。俳句は詩歌に含まれるわけで、その関係ならばあるスタンダードが貫くというのも分かりやすいんですけど、建築と文学っていうと、やっぱり一般的にはまったく別のジャンルです。

にもかかわらずどこか通じるところがあるのは、階層を貫くスタンダードとは別の何かが共有されているんですね。

青木:そうですね。正岡子規はガラス、カヤ、格子ということを言っています。小さなガラス板を持って、それで庭を眺める。窓のところに格子のガラス戸を入れて、カヤっていう微細な格子でできてるものも付けて、格子の向こうに世界を見る、と。そういう時の格子の代わり、あるいはガラス戸の代わりに建築を持ってきてもいいわけです。

建築って本来は物じゃなくて、人間が生活する器であったり、あるいはそれを通して外を見るのものだったりと、見られる対象ではなく、それを通して何かを見る所であるはずです。

ただし、僕たち建築家はガラスの板の向こう側の世界をつくっていなくて、いつもはガラスの板の性能、その仕組みをつくる作業をしているので、どうしてもこのガラスが気になってしまうんです。

とりあえずガラス板を見てるんだけど、ガラス板を見てもしょうがないわけで、重要なのはそれを通して見える景色だったり、それを包んでいる世界の方であるはずなんです。そういう意味で言うと、建築と文学はつながるところがあるかなあと。

平出:つまり建築物そのものではないけれども、何か建築的な本質が現れている、という基準で選ばれた文学ということですね。